けいこさんのブログ

ときどき、料理教室。ときどき、お菓子屋さん。ときどき、ハンドケアと食養指導士。まいにち、わたし。

きりん語録。~「想像力の欠如」と「記憶の再生」~

f:id:keiko-san:20161208114143j:plain「感情の揺れ(揺さぶられ)」 とは、ささいなきっかけで起こります。

というより、そこにあるのは、

「想像力の欠如」と「様々な刷り込みによる記憶の再生」

なのかなとも思います。

 

先日、それがまたひとつ出てきました。

 

私のPCデスクの足元に、玩具の剣がありました。

「なんでこんなところに?邪魔だな・・・。」

と私は思いました。

私が、「これ、誰がここに置いたの?」というと、

きりんが、「きりんが置いたんじゃないよ。」と言います。

 

ここで、私の中の、

「想像力の欠如」と「多くの刷り込みによる記憶の再生」

 

が起こったのです。

 

「きりんが置いたんじゃない=自分が置いたんじゃないから、片付けないよ。」

 

と言われた気がしたのです。

 

でも、彼は、「片付けない」とは一言も言っていない。

ただ、「自分がそこに置いたのではないから、なぜそこにあるか知らないよ」と、それだけを言っているのです。

 

私も、「邪魔だから片付けて欲しい」と伝えなかったし、

そもそも、自分で片付ければそれで済んだのです。

 

でも、言われた瞬間には、そんなことを考える余裕はなく、

「自分がやったんじゃないから、片付けなくていいってことなの?」

と私は思ったのです。

これ、本当に今までの様々な刷り込みの弊害です。(笑)

 

・みんなで片付けましょう。

・自分のことでなくても、やってあげるのが親切です。

・人のことも、自分のことのように考えてあげるのが、やさしさです。

 

まず、自分がどうしたいのか、

この状況はどういったことなのか、

などを感じたり、考えたりせず、そういうもの、と思ってきたのです。

 

しかし、 その一方で、

自分のことは、自分でやらなくてはと思って来た自分。

《自分のことは、自分で。人に迷惑をかけない。》

という教育が染み付いている!

 

だから、「自分で置いたのなら自分で片付けてよ!」

と思ってしまっていたわけです。

 

責任の所在を明らかにしたい→自分の責任でないということを

明らかにしたい。

 

自分の責任を果たすことで、必要以上に背負わされずに済む。

どれだけ責められることを恐れて来たのか・・・

そんなことまで思い出しました。(^_^;)

 

そして、一方で、《自分のことだけでなく、人にも親切に》

とか言われてきているので、

「自分のことじゃないからって、やらないっていうことでいいの?」

と思うわけです。頭の中がややこしい。

 

なんだ、このタブルバインドは。(-_-;)

 

でも、誰が片付けても、別に問題などない。

できる人がやったらそれで良い。

邪魔だなと思った私が片付ければ良いわけです。

 

きりんが、私の怒りが静まったころに、超冷静にこう言いました。

 

「さっきのことだけど、お母さんが、《誰が置いたの?》って聞いたから、きりんじゃないよっていっただけで、片付けたくないとか、そういうことを言ったんじゃないんだよ。もっとちゃんと、お母さんがわかるように説明すればよかったね。ごめんね。」

 

私が謝らなくてはならないのに、先に謝らせてしまった。

申し訳ない・・・m(_ _)m

 

「もっとちゃんと、お母さんのわかるように説明すればよかったね」

 

って・・・(^_^;)

・・・・不出来な大人でご苦労おかけします(-_-;)

 

 

些細な朝の出来事で、

様々な刷り込みと思い込みと、自分の想像力の欠如を

ありありと感じました。(^_^;)

とほほです。

 

こういうことがきっかけで夫婦喧嘩とかもおきるんでしょうな。

男女差(脳の違い)もある上に、

お互いに全く違う環境で何十年も生きて来ているんですから・・・・。

摺り合わせって本当に大事ですね。

 

そして、こどもたちが日々、見せてくれる様々な出来事、

やりとりの中で、感情が揺さぶられる時、

自分の育ちに刷り込まれている様々な記憶が再生された時こそ、

自分を見つめるチャンスなのだな、と実感しました。

 

こどもたち、お世話おかけします~(^_^;)

ありがとうm(_ _)m

 

 

 

 

 

 

 

 

 

りらら語録。~りららからの手紙~

f:id:keiko-san:20161217141430j:plain

ナッツの類が大好きなりらら。

父さん似です。(笑)

 

炒ったアーモンドを醤油味にするのが、

我が家のブーム。

 

りらら、これが大好き。

でも、食べ過ぎないかと、

まだ、小さいからお腹こわすんじゃない?と

父さんは心配します。(^_^;)

 

自分の身体を感じつつ、

そこまで食べ過ぎることもないようですが、

ある時、私に、りららが、

 

「お母さん、りららがお母さんに手紙をかいたから、

読んであげるね。」

と折り紙になにやら記号のような、暗号のようなものが

書かれたものを持ってきて、読み上げてくれました。

 

「お父さんへ アーモンドをないしょで食べてごめんね。

りららより。」

 

(≧∇≦)

ちっとも内緒でもないんですが、父さんが心配してるのを

気にしてるんですね。

 

しかし、第二子は要領がいいので、

「父さんにバレないようにた~べよ♪」

とか

「ひみつにしておけばいいんだよ!」

とか

私に言って食べてます。(笑)

 

まぁ、「ひみつ」とか「ないしょ」っていう響きが、

きっと特別な感じで楽しいのでしょうね~。

「バレないように!」って悪いですけど。(笑)

 

りららに、内緒ってなに?ひみつってどういう意味?

と尋ねたら、

 

「誰にも、言わないってこと!」

 

わかりやすい。(笑)

 

 

 

 

きりん語録。

f:id:keiko-san:20161215092947j:plain

札幌、連日、雪がたくさん降っております。

雪かきが忙しいです。

こどもたちは、雪と戯れて楽しそうです。

連日数時間の雪かきに、思わず、

「雪、たくさん降るねぇ・・・(-_-;)」とつぶやいたら、

きりんが、

「お母さんが身体を動かす様に、神様がたくさん雪を降らせてくれてるんだよ。良かったね!!!!!!」

 

あ、私の運動不足解消のために、

連日、連日、雪がどっっさり降っていたんですか・・・(^_^;)

 

神様、私の運動不足を心配して頂いてありがとうございます。(笑)

おかげさまで、雪かきのあとは、汗びっしょりです。(^_^;)

 

みなさま、おそらく、まだまだ運動不足の私のせいで、

まだまだ雪が降りそうです・・・ゴメンナサイ。m(_ _)m

 

 

クリスマス支度。

f:id:keiko-san:20161208145930j:plain

きりんとクリスマス支度をしました。

秋に拾っておいた木の実を使って、リース作り。

実は、密かに、

「かわいいリース、欲しいな~買おうかな~」

とも思っていたのですが、

きりんに、

「作ろうよ!作ればいいよ!」と言われ。

う、うん、そうだ、そうだね!!!!(^_^;)

 

作ったら、面白い。

次はお正月飾りでも作ろうか、と話しています♪

f:id:keiko-san:20161208145959j:plain

f:id:keiko-san:20161208150021j:plain

きりん語録・りらら語録。

f:id:keiko-san:20161206092119j:plain

「にじいろのさかな」という絵本のDVDを見つけて、

こどもたちと観ていまいした。

にじいろのさかなは、きらきらのウロコを他の魚に分け、

他の魚とも仲良くなります。

 

「みんなとなかよくなり

ねるのも あそぶのも みんなといっしょ」

 

というフレーズがあり、

私としては、そういったことが苦手なので、(笑)

「みんなといっしょじゃなきゃいけないのかなぁ・・・?」

と呟いたら、

 

 「自分で決めて、自分がそうしたくてそうしてるんだから、いいんだよ。」

 

と、きりん。

 

あぁ、そうだね。

自分で決めたのであれば、どんな形だっていいんだよね。

それを周りがどうこういうのは、余計なお世話だな、と反省しました。

 

最近、ユーミンを聴き直しています。

やさしさに包まれたなら」という曲が、

昔から一番好きだったことを思い出しました。

曲を聴いていると、りららが、

 

「りららは、もうやさしさに包まれ終わってるから、もう包まれなくて大丈夫~。」

 

へぇ~!!!(≧∇≦)

なんだかすごいな。(笑)

 

 

 

 

「くまとやまねこ」 湯本香樹実・ぶん 酒井駒子・え

f:id:keiko-san:20161207115843j:plain

 

酒井駒子さんの絵が好きです。

 

初めは、本屋さんで手に取り、読みました。

そのあと、再び図書館でやはり気になり借りました。

 

「夏の庭」で知られる湯本さんの文も、酒井さんの絵も、

とても繊細だなと思いました。

 

お話は、

「ある朝、くまは ないていました。 なかよしのことりが、

しんでしまったのです。」

 

という一文で始まります。

 

そして、くまは、ことりの亡骸を素敵な木箱にいれる。

くまは木箱をどこにいくにも、持ち歩く。

森の動物たちは、中身を尋ねる。

そしてくまが箱をあけると、みんな困った顔をして黙ってしまう。

 

「くまくん、ことりはもうかえってこないんだ。つらいだろうけど、

わすれなくちゃ。」

  

この一文が、何より刺さりました。

 

悪意がない、むしろ親切で言ってるつもりであることが、

相手にとってバイオレントであることは、

きっと多々あるのだと思います。

自分を含めて・・・・。

 

このあと、くまは家に閉じこもります。

しかし、やまねこに出逢い、新たな時間を刻んでいきます。

 

やまねこは、木箱の中をみて、こういいました。

 

「きみは このことりと、ほんとうになかがよかったんだね。

ことりがしんで、ずいぶんさみしい思いをしているんだろうね。」

 

この絵本を読んで、

「寄り添うことの難しさ」を思いました。

 

誰かの苦しみも、悲しみも、背負うことはできない。

本当の意味で、「寄り添われた」と感じたときに、

癒えることがあるのかもしれません。

 

寄り添うということ

その寄り添い方も、「センス」だと思います。

 

センスにつていは、私の最近のテーマであるので、

また改めて書きたいと思います。

 

www.kawade.co.jp

「世界のふしぎな虫 おもしろい虫」 「世界のチョウ」 今森光彦

f:id:keiko-san:20161207112142j:plain

 

美しい。

 

このひとことに尽きます。

 

こどもが昆虫や生き物を身近にしてくれて、

今は今の感じ方で美しいなと感じます。

 

いつか

きりんは実物に触れる旅にでるのかな。

 

それも今の時点で私にできる想像の及ぶことでしかなく、

まったくわかりません。

 

想像のつかないこと、わからないことは、たのしいことですね。