けいこさんのブログ

ときどき、料理教室。ときどき、お菓子屋さん。ときどき、ハンドケアと食養指導士。まいにち、わたし。

「ひとりぼっちのライオン」と家族のかたち。

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幼稚園には沢山の絵本があります。

その中の一冊に、「ひとりぼっちのライオン」という本があり、

りららがこの本を気に入っていて、何回も読んで欲しいといいます。

 

絵本のストーリーは、友達のいないライオンが、ハリネズミや羊や鹿のように

自分でたてがみを逆立ててみたり、カールさせてみたり、枝で角を付けてみたりして、

彼らと友達になろうと近づくのですが、みんな怖がって逃げてしまう。

でも最後には、雨に濡れたライオンが、友達になりたくて、他の動物になろうと真似た装飾が取れ、ライオンのままで、友達が欲しいということを話してみんなと友達になる、というものです。

 

何回も、何回もこの絵本を読んだあと、

りららがこう言いいました。

 

「友達もいいけどさ、家族をつくればいいのにねぇ。」

 

面白いなぁ・・・と思いました。

りららの中で「家族」とは、どういったものなのかなぁ・・・。

 

いろいろ私なりに想いを馳せてはみましたが、

家族で通う幼稚園にお腹の中にいる時から通う彼は、理屈ではなく、

「家族」というものを、肌で色々感じているのかもしれないなぁ・・・・。

 

家族の在り方は色々で、それぞれ。

彼がいつか、今の家族ではない「家族」を作るであろう未来が、今から楽しみです。

こどもたちが、それぞれの家族をつくっていくその日まで、

今の家族をひとりひとりが楽しんでいけたらいいなと思います。

 

私と夫が出逢って、家族になり、子どもたちを授かり、少し大きな家族になった。

これは、本当に様々な偶然と必然が積み重なったものだと思います。

縁あって家族になれたことは、本当に有難いことなのだと思います。

 

もうすぐ増えるもう一人の家族。

また新たな家族の形になっていくのだと思います。

4人から5人へ。四角形から五角形へ。

ちょっとづづ丸へと近づく形。

予測のつかない毎日を皆で味わっていきたいと思います。

 

 

 

 

大人と子どもの境目はどこなの?

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きりんに、こんな質問をされました。

「こどもはいつから大人になるの?どこから大人になるの?」

 

うーん・・・難しい、というか、私にはわからない。(笑)

社会的な定義だと、例えば選挙権を得たら、とか

社会に出て働くようになったら、とかあるのかもしれませんが、

そういったことを聴いてるわけではないだろうから、そのことも話しつつ、

結局、「お母さんにも難しくてわからないから、引き続き考えてみるね。」と

答えました。

そして、

「きりんが自分の周りで『この人は大人だな~』って思う人はいる?」

と尋ねたら、

 

「いない。」

 

と即答。(^_^;)

父も母も彼からみて、「大人」とみなされていないらしい・・・。

ちーん・・・・(^_^;)

今度、きりんの思う「大人」ってどんな感じなのか話を聴いてみようと思います。

 

「大人」「こども」をどのように捉えていくか変わってきますし、

そもそもその線引をする必要があるのかなぁ?と思ったり。

社会では例えば何歳以上は大人料金です、とかそういった目安としてわかりやすいので、境目を付けることもあるとは思いますが。

 

大人って、なんだろう?

 

引き続き感じて考えていこうと思います。

 

いつも思うのは、大人であるとかこどもであるとか、

そういったことを越えて「ひとりの人」としてどうあるかということをお互いを大切にしていけたらいいなということかな。

 

答えのでないこと、正解のないことはたくさんある。

でもそれに想いを馳せたり、考えてみることは面白いなと思います。

「わからないことってたくさんあるんだ。」と思うことも悪くないと思います。

というより、私にとっては、世界は「わからないな~」と答えのでないことだらけです。(笑)

 

こどもたちに質問されるといつも思うのですが、「正解」を求めて聞いてるのではないんだろうな、ということです。(虫の飼い方とか、ある程度良いやり方のあるケースへの質問は別だと思いますが。)

 あくまでも、「あなたはどう考えてるの?」と私がどう考えているかを知りたいと

思って聞いてることも多くある気がします。

 

正しいとか間違ってるとか、そういったことではなく、自分がどう感じ、

どう考えて生きてきているのか。

また、何を大切に思っているか、何にとらわれ、こだわっているのかもよく見えてきます。

 

 こどもたちに、色々質問される時、

私は、自分を見つめる機会をまたひとつ得ているんだな、と思います。

 

 私自身が、『大人として、人としてどう在りたいのか』を引き続き模索していこうと思います。

 

 

 

 

 

好きなことだけをして生きる。

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昨日、幼稚園で「足元の小宇宙」というNHKで放送された映像をこどもたちと

鑑賞しました。

「埴沙萌(はに しゃぼう)さん」という80歳を過ぎた植物写真家の方の

ドキュメンタリーでした。

埴沙萠のエコロジー

 

我が家の子どもたちは、興味津々で観ていました。

買ってきた椎茸やしめじからも胞子が飛んでいたよ!

家でも見えるかやってみたい!

と、帰宅して夫に熱心に二人で映像の内容を話していました。

 

私は観ていて

「命の輝きを遺す」ことをしている埴さんの輝きを感じました。

好きなことをして生きていると、こんな素敵なお顔になるんだなぁ・・・。

私も40年後にああいう顔をして生きていられたらいいな。

 

好きなことだけして生きていけばいいよ、と子どもたちに思うのです。

好きなことの中の苦労や大変さはきっと大人の思う苦労や辛さではないかもしれない。

好きなことの中のひとつの過程でしかないのかもしれない。

 

私も、できるだけ、好きなことだけして生きていきたい。

40年後の自分の顔を鏡で観るのを楽しみにしながら。

 

 

「自分たちで決めて、納得する。」

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先日のブルーベリー狩りの後の事。

甘くないものを求め(笑)昼食を摂る為に近くのショッピングセンターに入ってるお店に行こう、ということになりました。

 

レストラン街をぐるっと見て回り、「何が食べたい?」と聞くと、

きりんは「中華」りららは「イタリアン」・・・・

 

「どうするか、二人で話し合って決めて。お母さんはどっちでもいいから。」

 

と言って話し合うこと30分以上。(-_-;)

 

大抵の場合、譲ってくれる事が多いりららも、その日は頑として「どうしてもパスタとフォカッチャを食べたい!」と言って譲らない。

きりんは、「どうしても中華が食べたい!」と譲らない。(^_^;)

きりんがジャンケンを提案するも、りららが、「ジャンケンは嫌いだ」と拒否。(笑)

 

「パスタでも中華でもないものにしたら?」と言ってみたけど、ブーイングの嵐。(笑)大抵の場合、りららが譲ってくれるので、「今日は譲ってあげたら?」と、

試しに言ってみるも、

「きりんが合わせればいいってこと?!(# ゚Д゚)」と憤慨する。(笑)

 

「とにかく、二人で話して決めて~。決まらないなら、お母さんが食べたいお店に入るか、家に帰ってご飯にするからね。」

 

そこからまた20分ほど経過。

私はレストラン街のフロアにある子ども服をちらちら観たりして時間潰し。(^_^;)

すると、突然、

「今日はパスタにすることにした。」ときりんが言いに来たのです。

どうやって決めたんだろう?

きりんに聞いてみましたが、「ん~忘れた。」と。(^_^;)

 

あれだけ「中華がいい!」と言っていたのに、自分で、「これでいい」と決めた後は、

「本当は中華が良かったのに~」とかいう事は、一切言いません。

 

自分で決めるということは、そういうことなんだなぁ。

 

「本当はこうしたかったのに!」という想いが残ると、知らないうちにそれが

不満となって自分の中に残ることが多くある気がします。

 

自分で決めて納得する。

どこかで折り合いをつける。

 

私にとっては、簡単なようで、結構難しい。

子どもたちはそうでもないようですが。(笑)

でも、大事だな、と思います。

そうでないと、本当に意味で、先には進めないんだろうな、きっと。

 

 

 

 

 

おがわのじかんで、わたしのじかん。

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昨日は、お友達のMちゃんオススメの素敵なお店、
「おがわのじかん」にランチに行きました。
夫が子どもたちを公園に連れていってくれたので、
おひとりさま時間♪(≧∇≦)
 
ずっと行ってみたいと思っていたお店。
ご夫婦で営まれていて、奥様は管理栄養士さんだそうで、
バランスを考えたメニューを提案してくれます。
面白いのは、メニューを自分の体調と心の状態で選ぶ、もしくは、ご主人がアドバイスくださって選んでくれる!
 
近頃の私は、「美味しいものを食べたいけど、何が食べたいのかわからない~」という状態が続いていました。
お腹も圧迫されて苦しいし、舌の状態も甘味や調味料に、かなり敏感な状態になっているので、「これが食べたい!」「これが美味しい!」という判断が難しくなっていました。
 
私も選んで頂き、身体は重いけど心は元気ということで、
夏バテ対策メニューの野菜と豚しゃぶのランチに。
野菜は野幌直売所のものを使い、お米は北海道産。
なんと言っても凄いのは、スープ!
 
真昆布を使って、二日間かけて仕込むそうです。
塩はほんの少ししかつかわないそうで、素材の甘味を引き出す為だと思います。それでも、充分に旨味と甘味を感じる。
身体に染みる感じが心地よい。
 
他にも、豚しゃぶの自家製タレも、ブロッコリーとズッキーニの胡麻和え、お野菜の酢味噌和え、自家製の漬物、どれも素材のもつ味を損なわない、邪魔しない味付けなのです。う~ん、すごい。
 
いかに、普段強い味に慣れているのかがわかります。
 
土鍋で炊いたご飯はつやつやピカピカ。
至福~♪
 
そして、丁寧に作られてるお料理ってやっぱり素敵だなぁ。
と日々雑になっている自分の料理を反省しました。(^_^;)
 
細やかな心遣いは、はじめに、
「お水は常温がいいですか?氷を入れますか?」と聴いてくれることから始まり、コースターの色を3色から選ばせてくれます。
これは、選ぶ色で、体調や気分もわかるのかしら?なんて思いながら選びました。
 
お料理に使われる器は波佐見焼だそうです。
ご夫婦とも長崎出身だそうで、お付き合いのある窯元で
このお店のお料理に合うものをと、お願いして作られたそうです。波佐見焼には珍しく、温かみのある素材の器を、お料理に合わせて使っているそうです。
 
「器も味のうち。」
そのような言葉をよく思い出す私ですが、それを実感するひととき。
盛り付けや器が美しいと、そこに物語が産まれると思います。
「この器はどこで、どんな風に、どんな方がどんな想いで、作ったのだろう?」
「盛り付けはどんなイメージでしたのだろう?」
ひとつのお皿の中に、幾つもの物語がある。
もちろん、食べる野菜やお肉もそうであると思います。
 
 
デザートに頂いた「桃のムース」もなんともやさしいお味。
「一日三食の邪魔をしない」重すぎないスイーツ。
 

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お店のコンセプトは、
『「おがわのじかん」のミッションは、
「人の心と体が軽くなる場を提供すること」。』
 
これを体感したひととき。
自分の身体が「おいしい」と感じるものを知ることで、
自分の状態がわかる。
 
おわがのじかんで過ごしたわたしのじかん。
贅沢な時間。
 
きっと夫も子どもたちも一緒にきたら、喜ぶ顔が目に浮かびます。今度は一緒に来たいな♪
 
おがわさんご夫婦の作り出す素敵な空間と時間。
細やかな心遣いが本当に素敵だと思います。
 
是非、足を運んでみてください!
私も、出産前に家族で訪れたいと思います♪
 
「おがわのじかん」

「自然な生き方」ってなんだろう?

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最近考えてること。

「自然に」とか「ナチュラルな」生き方とか、暮らし方って、

なんだろう?ということ。

 

人によってその価値観も定義も、全く違うと思うのです。

昔ながらの暮らし方をすること、

エネルギーを無駄遣いしないこと、

自然のある環境に近いことで暮らすこと、

きっと色々あると思うのです。

 

私の中では、文明が発達したこと、科学技術が発展してきていること、

それが良いとか悪いとかではないと思っています。

必要に応じて発展してきたと思うからです。

そして、それを何処かで求めていた私を含め、多くの人がいて、そのような結果になっている。

 

そして、ただ、その扱い方が過剰になったり、方向性がちょっと違ってしまい、

今、様々な問題になっているのかな、と思います。

 

話がちょっとそれました。

 

で、自然な生き方って?

と考えた時に、「自然とは?」と、調べてみました。

 

自然とは・・・

1.人手を加えない、物のありのままの状態・成り行き

2.この世のあらゆる物の総称。

 

ナチュラルとは・・・

1.自然であること。天然であること。飾り気や誇張のないこと。また、そのさま。

2.音楽で、変化記号を取り消し、もとの音に戻すための♮の記号。

 

ここで、私がしっくり来たのが、「ナチュラルとは、音楽で、変化記号を取り消し、

もとの音に戻す」という一文でした。

 

そう、本来在る自分に戻っていく。

余計な思考な行動パターンを削って、元の形に戻っていく。

その作業をする為に生かされているのかもしれないなぁ・・・・と。

本来ある姿、形は人それぞれ。

そこに戻る為にいろいろ学んでいる。

その過程も、それぞれ。

 

自然な生き方って、私にとっては、「私のもとの音を探す旅」なんだ。

あ~スッキリした。(笑)

きりんと夏休みの宿題。

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昨日、図書館へ行きました。

図書館が改装工事で、もうすぐ長期のお休みになるので、

本をたくさん借りよう!と子どもたちが張り切っていました。

 

りららと恐竜図鑑を座って読んでいると、小学生の女の子とお母さんがやってきました。どうやら、小学校3年生らしい。

 

ドーンと机に置かれたのは、どうやら夏休みの宿題のようです。

お母さんは、指導モード全開で、赤ペンで◯やら☓やらチェックして、

間違えていた箇所を指差して、

「ここ、違う。やりなおして。」

子どもは「ねむ~い」「だる~い」と机の上に伸びています(^_^;)

 

しばらく母娘のやり取りを聞いていると、一方的な指導が続き、

間違えた問題を子どもがどう考えて、その答えに行き着いたのか、

というようなことには一切触れることはありません。

プリントには沢山の付箋が付いていて、お母さんのチェックが入って

いるようでした。

 

子どもが、やる気を見せないと、

「だらだらすんな!」

「図書館は20時まで開いてるんだからね!」

20時までやるつもりなのか・・・(^_^;)

 

子どもは、何度もトイレに立ち、自分なりに息抜きをしているように見えました。

(トイレからなかなか帰って来なかったりする。(笑))

 

これで勉強が好きって思えたら、ある意味凄いな~(^_^;)

と、思いながら、恐竜についてりららが話してくれるのを聞いていました。

 

きりんも自分の借りたい本を選びながら、

その母娘のやり取りをしばらく観察していました。

 

そしてボソッと一言。

「勉強、大変そうだね。」

「そうね~。夏休みの宿題やってるみたいだね~」と私が言うと、

 

「宿題のプリントなんて、裏紙にしちゃえばいいのにね~。」

 

(≧∇≦)

 

それ、みんながみんなしてませんから!(笑)

我が家ではそれが有効利用の方法のひとつですが・・・・(^_^;)

 

学ぶことは、楽しいものである、と思います。

知りたい、やりたい、から湧き上がる気持ち。

 

 

「宿題をやる」ことがあたりまえである、という状況に置いては、

親も、「やらなければ子どもが困る」と必死なのでしょうし、

「やらない」という選択肢などないのだと思います。

 

学びが子どもにとって、「やらなくてはならない事」になった時、

学びに対してどのような気持ちになるのかなぁ・・・と思いながら、

図書館を後にしました。

 

しかし、「宿題のプリントは裏紙に!」って。(笑)

そんな標語が流行ったらある意味凄いな。(≧∇≦)