2018年は「まとめない」。
謹賀新年。本年も宜しくお願い致します♪
2018年、始まりました。今年もぼちぼちとブログを書いて行こうと思います。
読んでくださっている方、いつもありがとうございます(^^)
去年、2017年のテーマは、「出来る限り何もしない」でした。
1月に妊娠がわかり、悪阻で寝込み、その後も妊娠生活をゆるゆる送らせてもらい、
9月に出産、産後を過ごし、産後は子ども3人の生活で、笑っちゃうくらい何もできない!という経験もしました。(笑)
文字通り?「出来る限り何もしない」というか、何もできない!という一年でした。
でも、それが私にとって心地よく、無理なく穏やかな毎日の時間をもたらしてくれたと思います。
何もしていないつもりでも、日々は積み重なり、何かが静かに変わっていくのだと思います。特に、妊娠中は、何もしていない毎日でも、自分の胎内では、日々もの凄い勢いで変化が起きている・・・何億年分もの生命の歴史がそこで紡がれている。
だから、敢えて「◯◯をしなくては!」と思わなくてもいいのだな~と思いました。することは、日々あって、最低限の事柄をして暮らして行き、それで自分も家族も機嫌よく元気であれば、佳い!ということを感じた2017年でした。
さて、2018年。
今年のテーマはなんだろう?とふと思ったときに浮かんできたのが、
「まとめない」。
自分の考えをまとめない。
人の考えや話をまとめない。
こどもたちのことをまとめようとしない。っていうか、まとまるはずもない!(笑)
人は、自分の考えや人の話をまとめることで整理したり、納得したり、結論づけたりする傾向があるのだと思います。
でも、それは、自分を納得させよう、と思う気持ちが先立つからかな、と。
まぁ、まとまるとスッキリしますよね。(笑)
しかし、自分の事も、人の事も、そんなに簡単にまとめるのは無理だよな~。そんなに単純に答えなんて出ないよな~と。
だったら、敢えて無理にまとめる必要なんてないのでは?
そのまんま、受け止めたり、受け流したり、みつめたりしていこう。
パンなどを作る時に粉を捏ねてまとめていきますが、職人さんや、手慣れた方が作業していくと、初めは上手くなとまらないものが、捏ねていくと、「粉が自発的にまとまろうとしているのでは?」というように、まとまっていくのを目にしたことが何度かあります。
敢えて「まとめよう!」と思わなくても、
散らかった考えも、心や身体を捏ねながら、好きな人達と過ごしたり、
美味しいものを作ったり食べたり、鼻歌を唄ったり、空想したりしているうちに、
粉の粒子が自然に、自発的に、ちょっとづつ、ちょっとづつ、じりじりと集まって、
「あら?・・・いつの間にか、まとまってた!」となるのかも。(笑)
そんなことで、2018年。
「まとめない。」
です。
なので、今年は、ブログもまとまらない文章になったらスミマセン。(笑)
そして、今年も「決してまとまらないB型集団」の我が家をどうぞあたたかく見守って頂けたら幸いです♪(笑)
皆様にとっても、素敵な穏やかな日々となりますように。
↑お節をどうしても食べたいという子どもたち。年末、働いておりました。(笑)
宗教が入り混じり、年末年始は大忙し。
センス、とはなにか。
このところの、私の中で繰り返し湧き上がってくる言葉。
センスってなんだろう?
デジタル大辞典の解説
センス(sense)
1 物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き。感覚。また、それが具体的に表現されたもの。「文学的な センス がある」「センス のよくない服装」「バッティングセンス 」
2 判断力。思慮。良識。「社会人としてのセンス を問われる」大辞林 第三版の解説
センス【sense】
物事の微妙な感じや機微を感じとる能力・判断力。感覚。 「ユーモアの-」 「 -に欠ける」
など書かれていました。他にも、
センスとは、
物事の微妙な感じをさとるこころの動き。微妙な感覚。
というのがあり、私は、最後の引用が一番しっくりきました。
センスとは、自分自身や周囲の機微を感じる感覚であり、
本来は、誰かに善し悪しをジャッジされるものではない物だと思いますが、自分に敏感であっても、周りの機微を感じ取れない場合などもありえるということだと思います。
「三兄妹、何処へ行く。」
今年、めでたく?3兄妹になった我が家。
3人兄弟、3兄妹、性別のパターンは色々あれど、
第一子、第二子、第三子で、産まれ持った性質が様々だと思います。
最近の我が家のテーマは「真ん中っ子の憂鬱、への対応」です。
「わりと心配性の第一子。しかし、プライドの高さは計り知れない。」
第一子のきりんに対して、「長男だから」「お兄ちゃんだから」と言ったことも思った事もないのですが、第一子の産まれ持った性質として、そのような要素があるのだと思います。初めての出産・子育てによる母の緊張感や不安感も少なからずあり、
意外と?心配性だったり、怖がりだったりします。
でもプライドは半端なく高く、チョモランマ並みです。(^_^;)
負けず嫌いも半端ない。最近まで負けるのが嫌で、ゲーム性の在るものは参加しない、
ジャンケンもしないという徹底っぷりでした・・・。
「実は一番の実力派?でも真ん中っ子の憂鬱・第二子。」
第三子が産まれ、今まで末っ子で我が道を行っていた次男も、真ん中っ子に。
上の兄からのプレッシャーをかけられ、下の妹には気を遣う。
俺、大変。(^_^;)(^_^;)
でも、感じるのは、実は最もエネルギーを秘めているのは、真ん中っ子でなないだろうか、ということです。
芯の強さがあるから、やさしく、聴いたり譲ったりできる。
気持ちの切り替えも早い。
そこだけ見ていると、心配する必要はないのでは?と一瞬思うのですが、
だからこそ、ケアの必要を感じるのです。
普段穏やかで明るい次男は、一度爆発すると、物凄いものがあるのです。
そうやって、ガス抜きすることが大切だなと思って、時々爆発する次男・りららの
様子を受け入れるようにしています。
それでも、気を遣う真ん中っ子。
兄・きりんが出掛けると、笑顔で送り出したあと、ポソッと、
「あ~やっと行った!」といい、帰ってくると、
「・・・もう帰ってきちゃったのか(-_-;)」と言ったりしています。(笑)
それが本音だと思いますが、それでいいと思います。
そうやってバランスを取っているのだと思うのです。
長男は、次男に何かとプレッシャーをかけます。
如何に自分の方が凄いのか、ということを誇示したいようです。
それを、つい親として不快に思ったりすることもあるのですが、
見方を変えると、
「次男が凄い力を秘めているのを感じていて、ちょっとプレッシャーかけておかないと、自分が越されてしまう心配がある」と無意識に感じ取っているのかも・・・・
と最近考察しています。(笑)
認めているからこそ、時々長男も
「りららは、自慢の弟」「妹もりららみたいに大きくならないとね!」
と言ったりもするのです。
どうしても、同性でライバル的になるのか、追う立場、追われる立場の兄弟。
追われる方のプレッシャーもあるのかもしれないな、と思います。
年齢が大きくなればなるほど、追いつかれる感は高まるでしょう。
それぞれの立場を理解しつつ、親もどちらが善いとか悪いとかジャッジすることなく、
受け入れ、それぞれとの時間を作ったりと、工夫していかなくてはなと思います。
なかなかその時間を作るのも難しいのですが、長い時間でなくても良いので、
意識して行こうと夫と話しています。
「何処までも我が道を行く末っ子・第三子。」
さて、第三子。ほっといても強く逞しく育つ気配。(笑)
兄たちからも異性であることもあり、ライバル視もされず、今のとこと溺愛されています。我が道を遮るもの無し!なんていいポジション!(笑)
しかし、本当に声も大きく、主張もハッキリしております。(^_^;)
先日も、幼稚園の園長に、
「上の二人と泣き方からして違う。逞しく、強くなるよ!」とお墨付き頂きました。(笑)
まぁ、どんどん我が道をいくであろう末娘。ついていきます。(^_^;)
何にしても、それぞれの個性・特性に合わせ、成長合わせ、寄り添っていくしかないのだろうと思います。
私も夫も二人兄弟・二人姉妹なので、真ん中っ子の憂鬱の対応を色々試行錯誤しています。正解はないと思いますが、その時出来ることを、精一杯やりたいと思います。
真ん中っ子で育った方、アドバイスお願いします(^^)
事件は、家庭で起きている。
去年のクリスマスの出来事。こんなことが起きていたのね。(^_^;)
今年は、どうなることやら・・・・。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「事件は現場で起きている」というドラマのセリフがありましたね。
(殆ど、観たことありませんが・・・(^_^;))
家庭でも、毎日、あらゆるドラマが繰り広げられており、
飽きることがありません。
クリスマスにヘリコプターのラジコンをプレゼントで貰ったきりん。
毎日、操縦の練習に余年がなく、操作方法など研究しています。
一方、ミニカーのラジコンを貰った、りらら。
3歳で操作できるくらいの機能をオトウサンタが検討しました。
それぞれとか、一緒にとか、遊んでいて、急に些細なことで揉める。
よくあることです。毎日です。年中です。
昨日も、なにやら揉めていました。
私は料理をしていて、後方で騒いでいるな~と思っていました。
次の瞬間、きりんの叫び声が響き渡りました。
「りらら!なんてことするんだ~~~~~~!!!!!」
現場に行ってみますと、きりんのラジコンヘリが、
りららのオマルの中に落ちています。
しかも、オマルの中には、先程したオシッコ在り。
ラジコンヘリ、水没。
しかも、オシッコの中に。
きりんの繰り返すちょっかいに怒ったりららが、
オマルの蓋を開け、中にラジコンヘリを投げ落としたそうです。
やるな!次男!なかなかのワルっぷりで逆襲。
精密機械の水没。
きりんが、リモコンを動かすも、全く反応なし。
きりん、号泣。大号泣。
やれやれ。
夫に、現場の状況をメールする。
どないしょ~。
「さっと洗って乾かしてみて」
ダメ元で、さっと洗って、
携帯をトイレに落として、ストーブで乾かしたら復活したという話を
思い出しドライヤーで乾かしてみる。
乾かすこと、数分。
なんとか、動いてくれるといいなぁ・・・・
もし、駄目だったらどうしよ。
もう一台買うとか?(-_-;)
いろいろぐるぐる先を心配する癖、全開。(笑)
一通り、乾かして、きりんが、リモコンを動かすと・・・・
「う、動いた~(T_T)!!!!!」
よかった~。ホッ。
号泣するきりんを見て、りららが、
「あ~きりん、泣いちゃってるから、ごめんって言ったほうがいいかなぁ・・・」とポツリと呟いていました。
ラジコンヘリが直った後、二人は、何事もなかったように、
遊び始めました。
きりんは、その後、りららを責めるような事を一言もいいませんでした。
これに、ちょっと驚きました。
「直ったから、それでいい。」
ということなのかな。
終わった事、過ぎた事へのこだわりのなさ。
「今」を生きてるんだな、と感動さえ覚える単純な母。(笑)
毎日、飽きない。
毎日、ドラマチック。
あぁ、面白い。
しかし、喧嘩。
・・・もう少しどうにかなりませんか。
・・・なりませんね。(天の声)
・・・ですよね。m(_ _)m
次はカメの水槽に落ちないことを願う!!
(冬でカメの水槽がリビングにあるのです・・・。)
「何かしなくてはならない」という思い込み。
少し前に友人と話していた時のことです。
彼女は、「小さい時から、親の望むように動いてきた」「何かをしなくては」と思ってきた。親の為に、常に何かをしていることで、評価されてきた、という経験を話してくれました。
私たちの世代は、「褒められるために」「認められるために」何かを成すという教育を刷り込まれてきた世代だと思います。
何かしていないと、誰かの役にたっていないと落ち着かない。
何もしていないという罪悪感に苛まれる。
私自身、そういう心境になることも多くありました。
でも、今年の始めに抱負としてもあげたように、
「出来る限り何もしない」毎日を過ごしています。
それでも貧乏性?なのか、家でなにかしらやることを探してしまったりする
癖がまだまだ抜けません。(^_^;)
その友人の話を聴き、彼女が私に何かしてくれるから好きなのではないということ、
そこに居てくれるだけでいいんだもの。ということだけ伝えました。
本来は、すべての人がそういう存在なのではないかと思います。
何かをしてくれたから、好きなのではない。
センスの合う合わない、相性はあるとは思いますが、
それは、相手の存在を認めることとはまた違うことだと思います。
何かしてくれから、存在を認め、評価しているわけではない。
評価というもの自体が、曖昧で、片寄りのあるものだと思います。
そこにいる。そこに居てくれる。
それだけで充分。
私も、あなたも。
余白のある言葉。
このところ、文章を書くということが、やや億劫な私がいます。(^_^;)
でも、忘れたくないこと、自分の中の整理として、書き留めておこうと思い、
久々に書いています。
現在、無事に妊娠30週。8ヶ月後半になり、妊娠生活も後期に入りました。
お腹の中ではポコポコと元気に動いている様子に慌ただしく過ぎる毎日の中、
ちょっとでも意識を向けていこうと思いながら過ごしています。
実際は、朝や夜、布団に横になり初めて意識することが多く、ごめんよ~と思うのですが。(^_^;)
私が出産予定の産婦人科は、基本的には医師が医療介入をしないという方針のクリニックです。
りららも4年前に同じ病院で出産しました。
今回、健診などで、初めてお会いした非常勤の産科医の先生との出逢いがありました。
子どもたちの質問にも丁寧に答えてくれる様子、やりとりから、
初めてお会いしたときから、親近感と信頼感を覚えました。
そして、先生の活動やお仕事の様子をオフィシャルページで拝見し、納得しました。
(興味のある方は、読んでみてください。)
さて、先日の健診でのこと。
私は通常のときでも、やや貧血傾向で、妊娠するとさらに貧血になる傾向があります。
(赤ちゃんに血液が集まるので、自然な流れでもあるようです。)
血液検査の結果を診て、先生が「鉄剤を出させてもらうね。」とおっしゃったのです。
私は、驚きました。
それは、鉄剤が処方されることにではありません。(笑)
「出させてもらうね、」という先生の言葉に。
「処方するので、飲んでください。」ではなかったのです。
「出させてもらうね。」という言い方には、
決して一方的に上から押し付けているわけではなく、
私にある程度判断が委ねられているという「余白」のようなものを感じました。
私が、感じ、考え、決めることができる、という余白。
そして、
「私とお腹の赤ちゃんは、〈尊重されている〉のだ。」と感じました。
そして、その言葉を選んでいる先生の今までの人生の中での喜びや葛藤・・・
様々な経験されているであろうことを、私の乏しい想像力ではあるけれど、
最大限想い巡らせるのでした・・・。
魅力的な人物に出逢えることの喜び。
お腹の赤ちゃんがくれたご縁に感謝です。