けいこさんのブログ

ときどき、料理教室。ときどき、お菓子屋さん。ときどき、ハンドケアと食養指導士。まいにち、わたし。

3月13日・今日もまとめない。「ガトーショコラとダメ母の自己弁護。」

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【ガトーショコラが食べたい。】
自分が、どうしてもどうしても食べたくて、自然栽培玄米粉米粉を使って、ガトーショコラを焼きました。今までは菜種油を使っていたのですが、ガトーショコラに菜種油を使うと、どうしても匂いが気になる。そこで、今回はココナツオイルを使ってみました。油の量はレシピの半分(単に足りなかったのだけど・・・)それでも、十分、というか多いくらいに感じられたので、次回はさらに調整です。甘味にはメープルシロップと米飴を使いますが、こちらも、玄米粉が物凄く甘いので、もっと減らして良さそう。しかし、娘が機嫌良く、抱っこをリクエストしない限られた時間で作るため、慌ててオーブンのトレイを入れる場所を誤り、結果、オーブンの中でガトーショコラが膨らみ、天井にガッツリ張り付くという惨事に見舞われました・・・。ふぅ・・・。うっかり母さん、今日も健在。
 
【ダメ母の自己弁護。】
このようなダメっぷりは序の口で、おそらく我が家の子どもたちは、「お母さん、またやったの?」「あぁ・・・仕方ないね・・・」と何処か思っている節がある。しかし、滅多に口にはしない。口にしたら、地雷を踏み、母の怒りのとばっちりを受けることを知っているからである。(笑)でも、私が、「きゃー!」「わ~!!!!!」と台所で叫ぶと、「大丈夫?レスキュー!!!!」と飛んできて惨事を確認している。そして、黙ってダメっぷりを観察している。(笑)でも、これでいいのだ。母は完璧な存在などではない。親が完璧だと、子どもたちも苦しいし、将来のパートナーにも知らないうちに完璧を求め、お互い苦しむ。なので、「お母さん、仕方ないな~またか~」くらいで丁度良いかと。自己弁護。でも、コレ、ホント。(笑)しかし、義母は比較的完璧な母だったようだが、夫が私を選んだのが凄い。物珍しさと面白さが勝ったのだろうか。わはは。
 
【何でもお見通しされてる母。】
「お母さんは何でもお見通しよ~!」とか言ってみたいが、我が家では、子どもたちが、「何でもお見通し」である。先日も、ちょっとイライラして、きりんに強い口調で話し、反省した私は、「さっきは怒ってごめんね。」と素直に謝ってみた。すると、「あ~、大丈夫。怒ってたんじゃなくて、イライラしてそういう言い方しちゃっただけでしょ。(^^)」と言われた・・・・。ハイ、その通りです・・・。母さん、あなたたちに、ついて行きます。置いていかれないように精進しますです。
 
 
兄たちに追随するであろう・・・いや、もっと強力になるであろう・・・末娘。腕立てしてトレーニング中。これ以上鍛えなくても、もう、十分エネルギッシュですけど・・・。

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3月10日・今日もまとめない。「ツルツル道路の冒険と留守番。」

【 きりんの留守番】
きりんは「なんとなく今日は、行っても楽しめない気がするから、家に居ようかな、留守番してる」と。おととい、友達の家にお泊りさせてもらい、楽しいからこそ、疲れもしたのだろう。いつもなら「きりんが休むならりららも~休む!」というパターンだが、聞いてみると、「りららは幼稚園に行く。」と言う。ほほぉ。きりんは一人での留守番(だいたい5時間位になるか?)は初めてである。「色々ゆっくりやりたいことがあるから、楽しみだ」と私とりららと娘を送り出してくれた。「いいねぇ、ひとり時間!」といったら、「うん、いいでしょ♪」と言っていた。(笑)念の為、私の携帯を置いていき、なにかあったら幼稚園か父に電話するように、と電話のかけ方を教え、家をでた。
 
お昼前、幼稚園で園長に呼ばれ、「きりんから、電話だよ。お母さ呼んでもらえるかな?だって。(笑)」なにかあったか?と思いきや、用事はPCにハードディスクが繋がってないので、どうやって繋げるの?と。電話でPCのことを説明するのは、私には困難である・・・(-_-)「お父さんに電話で聞いてたらわかるかな・・・」「あ、そうしてみる!」と電話を切った。夫よ、丸投げしてごめん。(笑)
 
幼稚園バスで2時半くらいに帰宅すると、玄関で上機嫌のきりんが出迎えてくれた。何やらいい香りが台所からしている。「おかえり!シチューと炒飯つくっておいたよ!あとね、昼寝したり、DVDみたりして、のんびりしてた。」ハードディスクも夫に電話してちゃんと繋げたとのこと。へ~。
夫に後から、「きりんが電話をかけてきたとき、【仕事中に電話かけてごめんね】っていってたよ。」と聞いた。幼稚園の園長には、「お母さん呼んできてもらえるかな?」だったけどねぇ。・・・(笑)
 
きりんの作ってくれた重ね煮のシチューと炒飯はとても美味しかった。炒飯の作り方を教えたことはなく、自分で考えて作ったとのこと。わかめを入れようと思ったらなくて、鰹節を入れたんだよ、と。わかめ炒飯・・・ってどんな感じだろう。(笑)しかし、疲れて帰宅して、夕飯が出来ている!このしあわせなこと!!!出迎えてくれた時の彼の顔を見て、「あぁ。自分でリセットし終わったんだな。」と感じた。自分の心と身体の声を聴いて、今日をどう過ごしたいかを決めることができるのだ。彼の作ったシチューと炒飯は、春の味がした。
 
【ツルツル道路の冒険】
今日の道路は凍っているところに雨が降りツルツル。恐恐ゆるゆると幼稚園バスの来るバス停までりららと娘と歩く。滑って言ったほうが、絶対早い。雨も降っている。こんな日は家にいるに限る。しかし、りららの今日の「行く」は、なんとなく、いつもの「行く」とは違う気がした。何が、と言われるとわからないが、何か違う。 りららと傘をさしつつ、手をつなぎ、娘をスリングに入れリュックを背負い、今日に限って手提げには5キロの米粉。(というか、何で今日もってきちゃったんだ?自分。)
 
幼稚園では、傘をさして雨が傘に当たるのを味わってから園舎の中に入る。静かな場所を選んで、「コレ読んで~!」と絵本を持ってくる。「ジプシーの暮らし」という本。セレクトがいつも渋い。世界の民話的なものなどが好きらしく、字は読めないのに、そういった絵本を選んでくる。どうやってそのあたりがわかるのかわからないが、面白い。そして、本が好きで読んで欲しい、というのは勿論あるのだろうが、「コレ読んで」の奥にある気持ちにもいつも想いを馳せる。単純に読んで欲しいとき、本を読んでもらうことは単なるツールの一つでしかないとき・・・多分色々だと思う。私は、子どもとわいわい楽しいのも好きだけど、子どもと静かに過ごすこんな時間もたまらなく好きだ。一人にならなくても、心を静かにすることはできる。お互いに心が静かになっているのが感じられる。「絵本」というツールを通じて様々なことを共有させてもらっているのだ。
 園バスで帰りのバス停で降ろしてもらい、坂道を登っていく。朝よりはツルツルはマシになっていた。滑りにくい場所を選んで慎重に歩く。りららは立ち止まり立ち止まり歩く。雨樋から落ちる雫の連鎖の下で傘を広げて味わっている。氷の中に埋まっている枝を発見して「救出!」と掘り出す。それに夢中になり、手袋が片方、行方不明になる。来た道をまたまた戻る。結構戻る。この繰り返し。
繰り返し、繰り返し。でも、同じではない。ひとつとして。毎日は冒険だ。
 
それぞれの選択をする子どもたち。こうして、どんどんそれぞれ前へ進んでいくんだと思う。
私と夫は、あたふた、あわあわしながら、こどもたちの後をついて行こうと思う。(笑)こどもたちは、時々、振り返って、あたふたしている私たちを見て笑い、どんどん前へ進んで行くのだと思う。そんな感じは私たちにとってたまらない幸福だと思う。
 
↓お友達が撮ってくれました。冬の中にはもう既に、春が散りばめられています。

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2月20日・今日もまとめない。「なんでも、かんでも、はっきりさせなくても、いいよね。」

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「明日、幼稚園休む~」と、りらら。
「何で~?」
「好きなことしたいから~」
「幼稚園でも好きなことできるでしょ~?」
「家でやりたい好きなことは、幼稚園行ったらできないでしょ~。」
 
なるほどね。そりゃそうだ。
やりたいこと、やりたくないこと、
やること、やらないこと、
どっちも同じくらい大切だと思う。
動くことと休むことも同様に。
 
きりんも珍しく、この数日お休みモードで家に居たいと言う。風邪症状も殆ど見られないけど、そんな気分なのでしょう。大人からみたら、明確な理由がないように見えても、子どもの中では、言葉にはならない、明確な何かがあるのだと思います。言葉を超えて。
 
ゆっくりしたいときは、ゆっくりしたらいい。休むことはとても大事。
自分で自分の身体と心の奥から聴こえてくる声を無視しないこと。こどもたちからいつも教わっている気がします。大人は、というか、私は、つい無理したり動いてしまうことを、長年やってきて、それが癖になっていたりします。でも、そうすることは、心からのものではなく、「無理している」ので、様々なところに歪みが生じます。夫婦関係、家族関係だったり、自分自身の身体だったり。でも、やらないことは、いけないような気がして、一生懸命に「やらない理由」という「言い訳」を探したりする。
 
なんとなく、嫌。なんとなく、好き。なんとなくやりたい、なんとなくやりたくない。
だってやりたいんだもん!だってやりたくないんだもん!理由がはっきりしなくても、それも、いいじゃない。今の自分の在り方を受け入れていこう。こどもたちが、これからどんどん大きくなっても、自分を大切にできるなら、それが何よりしあわせに繋がる事だと思います。
 
 
りらら、水彩絵の具で「富士山」を描いたそうです。
神奈川に住んで居た時は、海岸からよく富士山を眺めていました。りららは北海道産まれなので、記憶に残る年齢で、実物を観たことはおそらくないはず。それでも、富士山。なんだか、面白いな。
 

2月6日・だから、今日もまとめないんだってば。

冬らしく、冷え込んでいる札幌の朝です。先日、夫が学校でもらってきたプリントの中に、学校だよりがありました。タイトルは、「一年間のまとめを考える」・・・だから~まとめないんだってば。と心の中で突っ込む。一年一年、節目節目にまとめなくてはって思うのはおそらく大人だけではないのだろうか、と思います。子どもたちにそれを求めるのは、大人がまとめて安心したいからでは?そんなに細々とまとめてたら、小さくまとまってしまうんじゃない?と、思ったり。(笑)物事も、自分の心も、そんなに簡単にまとまらない。身体も様々なホルモンの影響を受け、自然界の影響を受け、波は穏やかだったり、荒れたりするわけです。(^_^;)なるべく穏やかな波で過ごしたいとは思いますが、時には大波が来て、ザブーン!となって、それで色々洗い流されて、スッキリすることもある。何が良いか悪いかもいうことは、然程意味などないのだと思う今日このごろです。

 

『母と長男』

母と長男、父と長女は、遺伝子的にも強く影響し合うと言われています。しかし、私は、長男であるきりんに対して、「長男だから」と思ったことが皆無です。性別が違うこともあってか、「私とは、全く違う人格だなぁ。」と産まれた時から思っていて、「この人の生きる邪魔だけはしないようにしよう!」と静かに誓ってはや8年。しかし、先日、お世話になっているクリニックで、「自分ときりんに似ている所がみつからないんですよねぇ・・・」と呟いたら、院長の奥様に、「そうですか?きっとケイコさんが色々押さえつけられずに伸び伸び育ったら、きりんくんみたいになっていたと思いますよ(^^)」と言われて、目からウロコ。(笑)あぁ・・・確かに。好き嫌いがハッキリしていて、あらゆる権力に屈しない、上から目線で言われると反発する、歯に衣着せぬ物言い、自分は自分でいいのだという強い意思、あまりにも自由な振る舞い。(笑)・・・・大人に遠慮して空気を読みながら生活していた子どもの頃の私は、思っていても躊躇し、できなかった言動だったりするのです。それをサラッとやってのけたり、言ったりする・・・。よくあるのが、私が心の中で思っている言いにくいことを、ジャストタイミングで発言するということ。だ、代弁?と思ってハラハラするやら、おかしいやら、スッキリするやら。(^_^;)いわゆる「育ち直し」っていうのをやらせていただいてる?!と今更ながら思っています。(笑)ありがとう!きりん!(笑)と、感謝したのも束の間、私の横に来て、「あのさ~お母さんのお説教ってもっと短くならないの?」とおっしゃる・・・・ちーん。(-_-)お説教してるつもりなどないが・・・大体、君、聴いてないし。・・・もう一度、「彼の生きる邪魔をしない!」という気持ちを新たにしております・・・(^_^;)

 

『父と長女』

で、父親と長女も遺伝子的に強い結びつきがあると。我が家の場合、まず、誕生日が同じっていう事もびっくりですが、富士額もおそろい。(笑)声が大きいのは、声の通らない父の代わりに大声が出るのではないかと思います。(≧∇≦)夫が子ども時代に出来なかった自己主張もきっとこれから代わりにしていくであろうと思うと、母の修行はまだまだ続く。(^_^;)忍耐力をアップさせなくては・・・。諦観。良い意味で諦めよう。(笑)面白いのが、夫が娘を抱っこしていると、大変快便である!ということ。ホームドクターにその話をしたら、「内臓が共鳴してるんですよ!」と。恐るべし遺伝子!(≧∇≦)夫が抱っこしていると、沢山ウンチをしてくれるので、良い♪便秘は病気の元ですから。すると、夫が、「僕は本当のク◯親父なんだな・・・(^_^;)」と。(笑)クリニックでその話をしたら、ク◯親父って本当は褒め言葉なのでは?ウンチを出させてくれるお父さん!!!!最高!っていうことで。快調・快腸♪(≧∇≦)息子たちに、将来、「ク◯ババア!」って言われたら私も喜ばないといけないのでしょうかね。褒められてる!って。(笑)何にしても、ウンチ、大事です。(笑)

 

2月3日、節分には、恵方を向いて、海苔巻きを家族で食べました。それぞれ、無言で願い事を思い描きながら。節分からが、旧暦では新年。節目だけど、まとめない。身体は、節目でシフトチェンジされる方も多いと思います。まとめないけど、色々入れ替わる時期です。不要なものは、流れにまかせて、外に出して流していきましょう(≧∇≦)

 

↓腹ばいが嫌いな娘。寝返りもしないで、立ち上がることばかりしております・・・。

 

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1月20日・今日もまとめない。

《娘のこと》

15日で娘が4ヶ月を迎えました。ほぼ首も据わり、寝返りは全くしないのに、手をにぎると、起き上がり小法師の様に起き上がりそのままスクッと立ち上がります・・・。もっとごろごろ寝返りとかしてください・・・。キョロキョロと周りの様子を観察するのに忙しいようです。基本的に機嫌がよく、夜中も早朝もニコニコしています。授乳時に寒さと寝不足で疲弊していても、救われる笑顔です。よく出来ているなぁ、と感心します。どんなに疲弊していようと、お世話せずにいられないように母と子は遺伝子でプログラミングされているんだな、と思います。それはしあわせなことだと思います。お互いに。しかし、娘の「お母さんセンサー」が日に日に感度を増し、お母さんが良い!お母さんじゃないとダメなんだよ!と言う時の泣き方は物凄いです。騒音レベルです・・・そのタイミングで抱っこしている父さん、お疲れ様です。しかし、ハッキリしていて素晴らしい・・・(笑)

 

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《りららのこと》

先日、久々にりららと二人で買い物と用事を足しに出掛けました。といっても、いただた年賀状の返信を出すのに、10円切手を買い貼り付けて投函することと、本屋さんに行こうというささやかなもの。久々の二人でのお出掛けに喜んでくれていました。郵便局で10円切手を10枚買い、私が水を付けて貼っていると、「やってみたい」といいます。ゆっくり、丁寧に水をつけ、切手を貼っていきます。切手はちょっと斜めになったり、曲がったりしていますが、それもご愛嬌、届いた皆様、多目にみてください。(笑)そのあと、外のポストに投函。まだ背が届かないので、私が抱っこして投函しました。切手を貼って、ポストにはがきを入れる。たったそれだけのことなのですが、私は切手を貼る仕草を見つめながら、静かに待つ。抱っこして一枚一枚はがきを投函する。その行為はなんともいえない幸福感に包まれている。ひとつ、ひとつ、ゆっくり、ゆっくり・・・この時間がずっと続いたらいいのにと思いました。

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《きりんのこと》

只今、8歳。まだまだ思春期。先日、私と喧嘩をして、「ハイハイ(-_-)」と、大変感じの悪い返事をしたため、「その返事はないんじゃない?!」と母が沸騰した所、「え?返事したのに気に入らないの?じゃ、次から返事しない。」母がその後、噴火したのは言うまでもありません・・・。母の忍耐は、まだまだ修行不足。とほほ。(^_^;)そんな彼ですが、近頃、幼稚園で小さい友達から、「きりん、あそぼ~!」と声を掛けられております。ありがたいことです。幼稚園では、小学生も受け入れてくれていますが、時と場合によっては、小学生本人が、なんとなく、所在なげになることもあると思います。やりたい遊びがうまく展開できない時、遊びたい友達が居ない時・・・他にも色々あると思います。きりんは基本的には、一人でも常に、やりたいことがあったり、楽しめるようですが、「自分は卒園しているから」と遠慮したり、幼稚園児の中での自分の行動を考えているところもあるようです。そんな中、4歳と1歳9ヶ月になる女の子が、「あそぼう!」と言ってくれて、一緒に遊んでいます。1歳9ヶ月の子は、お父さんを「パパ」というより早く「きりん!きりん!」と言ってくれたそうで。(笑)お父さん、なんだかスミマセン・・・(^_^;)。「遊んでくれてありがとう」とその子どもたちのお母さんが言ってくれたりしますが、こちらこそ、「遊んでくれてありがとう。居場所を作ってくれてありがとう。」という気持ちになります。そして、小さな子と触れ合うことで、癒されたり、加減を体感したりしているのだと思います。自分の存在を家族以外の誰かも喜んでくれているということを感じているのだと思います。ありがたいです。

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あぁ・・・娘が起床し、爆音で叫んで呼んでおります。(笑)
三人三様。十人十色。うん、十人十色っていい言葉だなぁ。

今日もまとめない一日を。

久々のきりん語録。

 

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きりん語録。久々です。

日々、炸裂はしてるんですけど(笑)ありすぎて・・・(-_-;)

 

子どもたちの部屋はいつでも散らかっています。

できるかぎり見ないようにしています。

でも・・・疲れていると急に気になるのです。散らかってることが!

 

工作やりっぱなし、切り屑散乱。

玩具であしの踏み場もなし。

 

ぐお~!耐えるのじゃ~(T_T)

と思っていても、時々スイッチ入ってしまい。

「片付けないなら捨てます。」

「大事にしているとは思えない扱いですので、捨てます。」

とか言ってしまうわけです。

 

お正月。

お節を食べながら、きりんがぽつりと言いました。

 

「ずっと不思議だったんだけどさ、お母さんは、玩具や家にあるものは大事なものしかないから大事にして欲しい、っていうけど、散らかってると『捨てるよ!』っていうのは何で?大事なのに捨てちゃっていいの?ってずっと不思議だったんだよねぇ。」

 

ちーん・・・矛盾を突かれております。

 

「・・・大事にしているものを、大事に使ったり片付けられないくらいなら、ない方がマシかと思っちゃうくらい、お母さんは散らかってるのが苦手なんだよぅぅぅ・・・(-_-;)」

 

・・・苦しい言い訳でございます。(^_^;)

出来る限り、矛盾なく生きたいと思います・・・m(_ _)m

 

 

1月9日・今日もまとめない。

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娘、もうすぐ4ヶ月です。
早いぃぃ~!と毎日思います。
 
首もほぼ据わり、「自分は立てる」と思っているようです(^_^;)
まだ、急いで立たなくてもいいんだよ。
腹這いになったり、這い這いしたり、もぞもぞしている時を過ごしたらいいのに。
偶然転がって腹ばいになるも、もがもがともがいて苦しくなったようです。
イモムシ、青虫を連想させます。(笑)
 
あまりにも凄いスピードで大きくなっていくので、
もっとゆっくりでいいよ~と言いたくなります。(笑)
上の二人の子どもたちが赤ちゃんの時は、
もっと一生懸命で、(あ、今が一生懸命でないってことではないんですけど(^_^;))というか、もっと緊張感や必死さもあったのかもしれません。
大きくなることが、嬉しくて、ぐんぐん伸びていく木の芽を見ているような喜びを感じていました。
 
それとはまた違う現在の感覚。
 
「もっとゆっくり大きくなっていいんだよ~。」
と思うのは、私がこの時期を味わいたいという物凄く個人的で、ある意味利己的でさえある感覚なのかもしれません。
 
というか、私が歳を重ねたってことなのかもしれませんねぇ。(笑)
言い換えれば、単に年取った!ってことで。(^_^;)
 
そんな私の心境に、娘は我関せず。
娘は自分の世界をどんどん構築し、広げるべく、日々を紡ぎ出すのです。
目の前にはどんな世界が広がっていくのだろう。
ワクワクします。

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