3月23日・今日もまとめない。「しあわせまゆげと、順番を巡る小さなドラマ。」
【しあわせまゆげ。】
娘の眉毛。濃い。くっきりしている。私は、娘の眉毛をみると、何故か安堵感に包まれる。寝起きなど、寝ている顔にくっきりと引かれているこのラインを見るのが、なんともしあわせなのである。勝手に、「しあわせまゆげ」と呼んでいる。
先日、お世話になっている歯科で、夫が待合室で娘を抱っこしながら遊んでいてくれた。そこへ衛生士さんが来て、「いい眉毛ですねぇ。どしっりしてて、安心、安定感がある。私なんて毎日描くの大変なのに~羨ましい!」と言われたそうです。そうなんです!!!!とその話を聴いて思いました。この眉毛を見ていると、「全て問題なし!」「大丈夫!」と思えてくる。まさに魔法の眉毛。(笑)私だけじゃなかったんだ!そう感じるのは!となんだか嬉しい。夜中の授乳もオムツ替えも、この眉毛を眺めてはほっこりしています。大丈夫、大丈夫、全て問題なし。そう言われてる気がするのです。
【順番を巡る小さなドラマ】
「順番」ということが関わるといつだって、小さなドラマがある。
先日も幼稚園でゲームの時間があったときのこと。こどもたちは、かけっこをする為に、順番に並び始める。まぁ、大体は、なんとなく並んでいるのですが、急に横から入ってくる子もいる。で、ここで、「横入りダメなんだよ~」という子もいれば、横入りされている事に気がついてない子もいる。そして、気がついているけど、気にしないでその状況をそのまま受け入れてる子もいる。また、相手によって、入ってもまぁいいか的に見逃してみたり、「入らないで!」となったりもする。そして、横入りする方も色々だ。「この辺になら入れてもらえそう?」ってあたりを動物的勘?を使ってサッと入ったり、その選択を誤って、「ダメだよ!」と怒られたり。それはそれは、様々で面白い。横入りされて、嫌だったけど直接言えなくて傍にいた大人(その時は私に)「〇〇が並ばないよ~!」と訴えてくることもある。私は、「うん、そうだねぇ。」とかい言って、様子をみて、さらりと、「△△が並んでたよ、」と〇〇に言うこともあるし、言わないこともある。
何にしても、色々な状況がある。なので、できるだけ、介入しないことにしている。
りららも横入りされ、気がついてないこともある。いや、気がついているけど、敢えて言わない事が多い。それを私が、「入っちゃダメなんだよ!後ろに並んで!」というのは、なにか違う気がする。本人が良しとしていて、嫌でないのであれば、それは子ども本人にとっては、問題ではないのだと思うから。大人がそこに焦点を当ててしまうと、それが「問題」になり、「ルール」になってしまうこともある気がする。勿論、注意したっていいし、そこは大事だと思う人が居てもいい。私は、こどもたちなりに考え感じたりして、入れたり入れなかったり、気にしたり気にしなかったり、大人に訴えてみたりのそれぞれが面白いといつも思う。横入りされて嫌なら自分で嫌って言えるのも大事だと思うし、まぁいいかって思えるのもいいと思う。入れてもらって、自分も寛容になったり、ならなかったり。(笑)
人との距離感を肌で感じるこどもたち。何がいいたいかというと、大人の物差しでは測れないということだろうか。「順番は守らないといけない」というのは、本当にそうなのかな、といつも考える。様々な状況があることを肌で感じて育つと、「順番は守らなくてはいけない」というよりも、「まぁ、基本的には、守ったほうがいい場合も多いけど、そういう時ばっかりでもないし、色々な状況があるよね。」くらいな感じになる気がする。そう思いながら、今日も子どもたちの並ぶ様子を見ながら、其処此処で起きる小さなドラマに目を向けている。毎日、飽きないなぁ。テレビドラマより遥かに面白いと思う。ホントに。
3月13日・今日もまとめない。「ガトーショコラとダメ母の自己弁護。」
3月10日・今日もまとめない。「ツルツル道路の冒険と留守番。」
2月20日・今日もまとめない。「なんでも、かんでも、はっきりさせなくても、いいよね。」
2月6日・だから、今日もまとめないんだってば。
冬らしく、冷え込んでいる札幌の朝です。先日、夫が学校でもらってきたプリントの中に、学校だよりがありました。タイトルは、「一年間のまとめを考える」・・・だから~まとめないんだってば。と心の中で突っ込む。一年一年、節目節目にまとめなくてはって思うのはおそらく大人だけではないのだろうか、と思います。子どもたちにそれを求めるのは、大人がまとめて安心したいからでは?そんなに細々とまとめてたら、小さくまとまってしまうんじゃない?と、思ったり。(笑)物事も、自分の心も、そんなに簡単にまとまらない。身体も様々なホルモンの影響を受け、自然界の影響を受け、波は穏やかだったり、荒れたりするわけです。(^_^;)なるべく穏やかな波で過ごしたいとは思いますが、時には大波が来て、ザブーン!となって、それで色々洗い流されて、スッキリすることもある。何が良いか悪いかもいうことは、然程意味などないのだと思う今日このごろです。
『母と長男』
母と長男、父と長女は、遺伝子的にも強く影響し合うと言われています。しかし、私は、長男であるきりんに対して、「長男だから」と思ったことが皆無です。性別が違うこともあってか、「私とは、全く違う人格だなぁ。」と産まれた時から思っていて、「この人の生きる邪魔だけはしないようにしよう!」と静かに誓ってはや8年。しかし、先日、お世話になっているクリニックで、「自分ときりんに似ている所がみつからないんですよねぇ・・・」と呟いたら、院長の奥様に、「そうですか?きっとケイコさんが色々押さえつけられずに伸び伸び育ったら、きりんくんみたいになっていたと思いますよ(^^)」と言われて、目からウロコ。(笑)あぁ・・・確かに。好き嫌いがハッキリしていて、あらゆる権力に屈しない、上から目線で言われると反発する、歯に衣着せぬ物言い、自分は自分でいいのだという強い意思、あまりにも自由な振る舞い。(笑)・・・・大人に遠慮して空気を読みながら生活していた子どもの頃の私は、思っていても躊躇し、できなかった言動だったりするのです。それをサラッとやってのけたり、言ったりする・・・。よくあるのが、私が心の中で思っている言いにくいことを、ジャストタイミングで発言するということ。だ、代弁?と思ってハラハラするやら、おかしいやら、スッキリするやら。(^_^;)いわゆる「育ち直し」っていうのをやらせていただいてる?!と今更ながら思っています。(笑)ありがとう!きりん!(笑)と、感謝したのも束の間、私の横に来て、「あのさ~お母さんのお説教ってもっと短くならないの?」とおっしゃる・・・・ちーん。(-_-)お説教してるつもりなどないが・・・大体、君、聴いてないし。・・・もう一度、「彼の生きる邪魔をしない!」という気持ちを新たにしております・・・(^_^;)
『父と長女』
で、父親と長女も遺伝子的に強い結びつきがあると。我が家の場合、まず、誕生日が同じっていう事もびっくりですが、富士額もおそろい。(笑)声が大きいのは、声の通らない父の代わりに大声が出るのではないかと思います。(≧∇≦)夫が子ども時代に出来なかった自己主張もきっとこれから代わりにしていくであろうと思うと、母の修行はまだまだ続く。(^_^;)忍耐力をアップさせなくては・・・。諦観。良い意味で諦めよう。(笑)面白いのが、夫が娘を抱っこしていると、大変快便である!ということ。ホームドクターにその話をしたら、「内臓が共鳴してるんですよ!」と。恐るべし遺伝子!(≧∇≦)夫が抱っこしていると、沢山ウンチをしてくれるので、良い♪便秘は病気の元ですから。すると、夫が、「僕は本当のク◯親父なんだな・・・(^_^;)」と。(笑)クリニックでその話をしたら、ク◯親父って本当は褒め言葉なのでは?ウンチを出させてくれるお父さん!!!!最高!っていうことで。快調・快腸♪(≧∇≦)息子たちに、将来、「ク◯ババア!」って言われたら私も喜ばないといけないのでしょうかね。褒められてる!って。(笑)何にしても、ウンチ、大事です。(笑)
2月3日、節分には、恵方を向いて、海苔巻きを家族で食べました。それぞれ、無言で願い事を思い描きながら。節分からが、旧暦では新年。節目だけど、まとめない。身体は、節目でシフトチェンジされる方も多いと思います。まとめないけど、色々入れ替わる時期です。不要なものは、流れにまかせて、外に出して流していきましょう(≧∇≦)
↓腹ばいが嫌いな娘。寝返りもしないで、立ち上がることばかりしております・・・。
1月20日・今日もまとめない。
《娘のこと》
15日で娘が4ヶ月を迎えました。ほぼ首も据わり、寝返りは全くしないのに、手をにぎると、起き上がり小法師の様に起き上がりそのままスクッと立ち上がります・・・。もっとごろごろ寝返りとかしてください・・・。キョロキョロと周りの様子を観察するのに忙しいようです。基本的に機嫌がよく、夜中も早朝もニコニコしています。授乳時に寒さと寝不足で疲弊していても、救われる笑顔です。よく出来ているなぁ、と感心します。どんなに疲弊していようと、お世話せずにいられないように母と子は遺伝子でプログラミングされているんだな、と思います。それはしあわせなことだと思います。お互いに。しかし、娘の「お母さんセンサー」が日に日に感度を増し、お母さんが良い!お母さんじゃないとダメなんだよ!と言う時の泣き方は物凄いです。騒音レベルです・・・そのタイミングで抱っこしている父さん、お疲れ様です。しかし、ハッキリしていて素晴らしい・・・(笑)
《りららのこと》
先日、久々にりららと二人で買い物と用事を足しに出掛けました。といっても、いただた年賀状の返信を出すのに、10円切手を買い貼り付けて投函することと、本屋さんに行こうというささやかなもの。久々の二人でのお出掛けに喜んでくれていました。郵便局で10円切手を10枚買い、私が水を付けて貼っていると、「やってみたい」といいます。ゆっくり、丁寧に水をつけ、切手を貼っていきます。切手はちょっと斜めになったり、曲がったりしていますが、それもご愛嬌、届いた皆様、多目にみてください。(笑)そのあと、外のポストに投函。まだ背が届かないので、私が抱っこして投函しました。切手を貼って、ポストにはがきを入れる。たったそれだけのことなのですが、私は切手を貼る仕草を見つめながら、静かに待つ。抱っこして一枚一枚はがきを投函する。その行為はなんともいえない幸福感に包まれている。ひとつ、ひとつ、ゆっくり、ゆっくり・・・この時間がずっと続いたらいいのにと思いました。
《きりんのこと》
只今、8歳。まだまだ思春期。先日、私と喧嘩をして、「ハイハイ(-_-)」と、大変感じの悪い返事をしたため、「その返事はないんじゃない?!」と母が沸騰した所、「え?返事したのに気に入らないの?じゃ、次から返事しない。」母がその後、噴火したのは言うまでもありません・・・。母の忍耐は、まだまだ修行不足。とほほ。(^_^;)そんな彼ですが、近頃、幼稚園で小さい友達から、「きりん、あそぼ~!」と声を掛けられております。ありがたいことです。幼稚園では、小学生も受け入れてくれていますが、時と場合によっては、小学生本人が、なんとなく、所在なげになることもあると思います。やりたい遊びがうまく展開できない時、遊びたい友達が居ない時・・・他にも色々あると思います。きりんは基本的には、一人でも常に、やりたいことがあったり、楽しめるようですが、「自分は卒園しているから」と遠慮したり、幼稚園児の中での自分の行動を考えているところもあるようです。そんな中、4歳と1歳9ヶ月になる女の子が、「あそぼう!」と言ってくれて、一緒に遊んでいます。1歳9ヶ月の子は、お父さんを「パパ」というより早く「きりん!きりん!」と言ってくれたそうで。(笑)お父さん、なんだかスミマセン・・・(^_^;)。「遊んでくれてありがとう」とその子どもたちのお母さんが言ってくれたりしますが、こちらこそ、「遊んでくれてありがとう。居場所を作ってくれてありがとう。」という気持ちになります。そして、小さな子と触れ合うことで、癒されたり、加減を体感したりしているのだと思います。自分の存在を家族以外の誰かも喜んでくれているということを感じているのだと思います。ありがたいです。
あぁ・・・娘が起床し、爆音で叫んで呼んでおります。(笑)
三人三様。十人十色。うん、十人十色っていい言葉だなぁ。
今日もまとめない一日を。
久々のきりん語録。
きりん語録。久々です。
日々、炸裂はしてるんですけど(笑)ありすぎて・・・(-_-;)
子どもたちの部屋はいつでも散らかっています。
できるかぎり見ないようにしています。
でも・・・疲れていると急に気になるのです。散らかってることが!
工作やりっぱなし、切り屑散乱。
玩具であしの踏み場もなし。
ぐお~!耐えるのじゃ~(T_T)
と思っていても、時々スイッチ入ってしまい。
「片付けないなら捨てます。」
「大事にしているとは思えない扱いですので、捨てます。」
とか言ってしまうわけです。
お正月。
お節を食べながら、きりんがぽつりと言いました。
「ずっと不思議だったんだけどさ、お母さんは、玩具や家にあるものは大事なものしかないから大事にして欲しい、っていうけど、散らかってると『捨てるよ!』っていうのは何で?大事なのに捨てちゃっていいの?ってずっと不思議だったんだよねぇ。」
ちーん・・・矛盾を突かれております。
「・・・大事にしているものを、大事に使ったり片付けられないくらいなら、ない方がマシかと思っちゃうくらい、お母さんは散らかってるのが苦手なんだよぅぅぅ・・・(-_-;)」
・・・苦しい言い訳でございます。(^_^;)
出来る限り、矛盾なく生きたいと思います・・・m(_ _)m