けいこさんのブログ

ときどき、料理教室。ときどき、お菓子屋さん。ときどき、ハンドケアと食養指導士。まいにち、わたし。

自分にやさしくするということ。

自分にやさしくするということ。

 

自分にやさしくする。

こう聴いて、どんなことを思い浮かべますか?

美味しいものを食べること?

好きな音楽を聴くこと?

お買い物して楽しい時間を過ごすこと?

好きな人たちと時間を過ごすこと?

自然の中に身を置くこと?

よく眠ること?

私もどれも好きです。

でも、「自分にやさしくする」っていうことは、

「心と身体に矛盾がないこと」かなと最近は思っています。

やりたくないけど、やらなくちゃ。を少なくする。

 

「本当はやりたくないけど、やらなくちゃ。」

とかいうことが、出来る限り少ないこと。

生活していると、やらないと日常生活がまわらな~い!

という声も多々あるのかもしれません。

 

 仕事での役割でどうしても、やらなくてはならない、とか。

(これも、掘り下げると、その仕事自体をやりたい!と思って選択したのかどうか、という話に繋がっていくのですが、それはまた改めて。)

例えば、家事は苦手だ、とか。

その辺りは、「ちょっと見方を変える」と楽になる気がします。

 家事は、自分ひとりが生きていく上でも発生します。

ということは、家事は、

 「【誰かのため】にすべきこと」ではないのではないか。

  自分が心地よく生きる為にするのが、「家の事」であると感じます。

 そして、

家事を「やらなくてはならないこと」と位置づけるのは何故か、です。

その自分の思考と向き合うことが、鍵になると思います。

 

家事に負担感があるなら、家族と話し合うってみるのもひとつ。

シェアできることは、みんなでやるのもひとつ。

出来ない時は、休めばいい。

2~3日洗濯しなくても、生死にはかかわらない。

 

その時に自分が感じたことを大事にする。

 

一瞬でも、「やりたくない」と感じたときは、

その気持ちを大事にする。

 

誰かに頼まれたから・・・

せっかくだから・・・

人の為に・・・

 

そう思った時、自分に問いかけます。

「私は、本当にそうしたいの?」って。

小さな矛盾がこころと身体の差を産みだし

それが積み重なり、限界に達してバランスを崩し、初めて気がつく。

「本当は、やりたくなかった」ということに。

 やりたくない、というとは、悪いこと?

 

全然、悪くない。

と、私は思っています。

善し悪しで測れる事柄ではないけれど、

自分に正直であることだと思います。

やりたくないことをやると、

失敗した時、辛くなったとき、

誰かの責任にしたくなります。

本当にやりたくてやることには、自分で責任を負えます。

人のせいにしない、ことは、楽なことだと思います。

人は変えられないけれど、

自分のスタンス、

思考や行動のパターンは、意識すれば変わる。

「心持ち次第」っていうのも、そういうことかもしれません。

自分にやさしくするとうことは、

自分の本当の声に耳を傾けることから始まると思います。

できるかぎり、やりたいことだけ、やる。

やりたくないことはやらない、と、

やりたいことだけ残る。

あとは、楽しむだけです。

楽しみましょ。

 

 

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