けいこさんのブログ

ときどき、料理教室。ときどき、お菓子屋さん。ときどき、ハンドケアと食養指導士。まいにち、わたし。

親がこどもにできること。

 

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親がこどもにできること。

親がこどもにできること、と聴いて何を思い浮かべますか?

 私は、

「ハッキリ言って、皆無に近いでしょ。」

と思っているのですが、(笑)

「できることがあるとしたら、彼らの生きる邪魔をしないこと。」

と思っています。

「あ~でもない、こ~でもない、」

「あれはダメ、これはダメ、」

「こうしたら失敗しないのに、」

「だからいったのに!」

とか言わないことです。

こどもたちにとってかなり、邪魔です。(笑)

何でも先回りして、予測して、やらないことです。

こどもたちは、自分で経験して学びます。

自分に合ったやりかたを習得します。

失敗したら、自分で工夫します。

もっと面白いやり方をみつけるかもしれません。

やってみなくちゃわからないのです。

大人は自分の経験を元に、失敗させないように、

させないように、したがります。

余計なお世話です。

大人は、失敗は悪いことだと思っています。

本当にそうでしょうか?

失敗は単なる学びの機会に過ぎないと思います。

ただ、私たち大人は、

【失敗しないことが良い、という教育】を受けて育ってきている、

という事実があることも、認識しておく必要があります。

こどもに必要だとしたら、

失敗したときにいかにフォローできるか、かもしれません。

もしかしたら、

フォローが必要ないケースもあるかもしれません。

大人が見ると「失敗」と思うことを、

子どもは、そう捉えていないかもしれません。

こどもの感覚は、大人と違うものであることが、

多々あると思います。

 

 子どもは、私ではない。全く別のひとりのひと。

息子きりんが産まれる前は、

人並みに?

「子どもが産まれたら、こんな習い事をさせたいなぁ・・・」

などど、勝手に妄想していたりもしたものでした。

しかし、きりんが産まれて、その顔を初めて見た時、

その妄想は一気に吹っ飛びました。

そして思ったことは、

「この子の邪魔をするのだけは、止めよう。」

ということだけでした。

この子は、たまたまご縁あって、私と夫の元に産まれてきた。

でも、この子は、私ではない。

だから、私が何事も勝手に決めることはできない、と思ったのです。

きりんは、きりん。

私は、わたし。

全く別の、ひとりのひとであるのだ!

どうしてそう思ったのかは今でもわかりません。

でも、そう感じそれが私と夫にとって、

子どもが育つ中で大切にしていることのひとつとなっています。

「子どもの邪魔をしないということ。」

子どもの生きる邪魔をしない、ということは、

「親は自分の人生を生き、楽しむ。」

ことだと思っています。

子どもの人生は、子ども自身のものなのです。

余計な心配は、不安を産みだしてしまい、

不安を現実にしてしまいます。

それでも、「親は、心配する生き物なのよ」

なんて声も聞こえそうですが、

心配ではなく、心を配り、

あるがままのこどもの姿を受け入れ、

サポートしていくことが、大人の役割かなと思います。

親が楽しく生きてる姿を見せ、

こどものやりたいこと、考えを邪魔しないことが、

こどもが羽ばたく足枷とならない唯一の術かもしれません。

こどもたちは、こどもたちの足で、

自ら選び、歩んでいくのだと思います。

どこまでも、自分の足で。