けいこさんのブログ

ときどき、料理教室。ときどき、お菓子屋さん。ときどき、ハンドケアと食養指導士。まいにち、わたし。

「わかりあえないことから~コミュニケーション能力とは何か~」平田オリザ

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なかなか本を読む時間は取れないのですが、

(これは、隙間時間を上手に使って読む方もいるので、

言い訳です。(笑))

ちょっとづつですが、今まで読んだ本、最近読んだ本、

おもろかった本、などなどをオススメしていこうと思います。

 

 「コミュニケーション」ってなんだろう。

  これという答えがでることではないのですが、

「コミュニケーション」という言葉が、
色々な使われ方をしていて、それが多用にされる度に、
「コミュニケーションってなんだろう?」
と思うことが多くあります。
 
みんなとなかよくできること?
相手を理解できること?
 
そんな中、この本を読んだら、
点と点が、線となりクリアになった部分が多くありました。
 
 「みんなちがって みんないい」
 というより、
 「みんなちがって たいへんだ」から始めること。
 
それが現代の状況だと理解すると、
(実は、現代に始まったことではないのかもしれませんが。)
大人である自分が「みんなとなかよく」できないのに、
こどもたちに、
「みんなとなかよくしようね」とは言えないし、
言う必要もないなと実感します。
 
だいたい、【なかよくする】のではなく、
なるべき間柄であれば、自然に【なかよくなる】のだと思うし、
様々な感性をもった人がいるのだから、
合う、合わない、があって当然ではないかと。
 
かといって、ぶつかりあうことが目的はないので、
 「私とあなた、お互いに違うからちょっと大変だよね~」
 ということから出発して、
「じゃあ、どのあたりで話すことができるのかな~?」
と、進んでいく。
 
相手と共通で認識が出来る点をいかに探り合えるか、
ということが、コミュニケーションだ、
と思うと、また違う視点で、人との関わりを持てる気がします。
 
 表現の多様性を子どもたちが知ること。
しゃべらない、そこに居ないということさえも、
演劇を通じて、それが表現のひとつなのだとこどもたちが感じるということ。
 ということが書いてあったのですが、
 「明るくて、元気で、ハキハキ話して、誰とでも仲良くできる」
 =「大人が求める【良い子】」として、
知らないうちに子どもに押し付けてしまっている場合、
こどもたちは、このような表現に出会った時に、
自分との差異に色々感じることもあるでしょう。
 

自分エネルギーの使い方。

こどもの時に、
「人や物事の表現には様々な形がある」
ということを、知ること、受け入れること、認められること、
自分もそのように受け入れられる経験をすることは、
自己肯定に大きな役割を果たす気がするのです。
 
そして、他者を否定しない、ということにも、
繋がることにもなるかもしれません。
自分以外の人を否定するということは、消耗することだと思うのです。
他の人や物事を否定しないということは、
余計なエネルギーを使わずに済むということではないでしょうか。
すると、【自分に】【自分のやりたいこと】にエネルギーを
使うことができる♪と私は考えています。
 
本の中で、
 「コンテクスト」という言葉が、使われているのですが、
その説明として、
 
【その人が、どんなつもりで、その言葉を使っているのかの全体像】
 
【同じ日本語を話していても、私たちは、一人ひとり違う言葉を話している、この話し言葉の総称。本来は文脈、という意味。】
 
私の思い描く「青」という色と、
あなたの思い描く「青」という色は違う。
「青い色」という表現を使って会話するとき、
その「青」は全く同じ「青」ではない、ということになる。
 
でも、対話するときに、お互いすり合わせて、
その「青」の共通する部分を探っていく。
そして、その 「共通点」を見つけた時の
喜びが、コニュニケーションの喜びなのかもしれません。
 

こどもとわたしのコンテクストの違い。

こどもたちの話す言葉の、表面上の言葉に、
こどもたちが本当に伝えたい部分が、含まれていないと
感じることがよくあります。
表現はことばだけでなく、前後の行動、表情、
それらも含まれているからです。
 
私は、つい、こどもの表面の言葉だけを解釈して、
自分の経験から勝手に想像して、
腹を建てたり、イライラしたりすることもあるのですが、
よく感じ見ていると、
こどもの伝えたいことは、そこではなかったんだ!
とハッとすることが多々あるのです。
 
こどもの年齢が重なるにつれ、
ストレートな表現だけではなくなり、
表現の仕方もとても複雑になっていると感じます。
明らかに、私と子どものコンテクストが違うのです。
それを理解した上で、
子どもたちの言葉に耳を傾けると、
違った景色が見えてくるのです。
 
あ、子どもに限らず、パートナーとのコンテクストの違いに
目を向けることも、とても面白いものだと思います。
 
「わかりあえないことから」というタイトルに惹かれ、
手に取った一冊。
「人と人は、必ずわかりあえるはずだ」
という理念に疑問をもったその時、
「みんななかよく」
という教育に疑問を持ったその時が、
コミュニケーションの始まりなのかもしれません。