けいこさんのブログ

ときどき、料理教室。ときどき、お菓子屋さん。ときどき、ハンドケアと食養指導士。まいにち、わたし。

苦労は買ってでもする?

 

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苦労は買ってでもする?

結論から言えば、「全く、必要ありません。」

と私は、思っています。

嫌なことなのだったら、しないほうがいいでしょ。と。

 

「苦労は買ってでもしなさい」とか、
「世の中は楽しいことばっかりじゃないんだから」とか、
「人生はそんなに甘くないんだ」とか、
私の周りの大人たちは、言っていました。
 
しかし幼心に「本当にそうなの?」と思っていました。
何故なら私の周りの「(買ってでも?仕方なく?)苦労した大人たち」
は、ちっとも楽しそうではなく、いつも辛そうでした。

そして自分が苦労し楽しめなかったので、
子どもが、楽しむことは、「悪いことだ」
と感じるような雰囲気を無意識に創りだすのです。
この無意識が本当に曲者。
 潜在的なもので、悪気がない。 気が付いていない。

 悪意が無いからといって、
子どもの育ちに悪影響ではないとは言えない。
むしろ、悪影響でしかないと思います。(笑)
 
大人になり、親になり思うのは、
「苦労は買うまでもなく、必要な学びはもれなくついてくる」
「世界は楽しいことで彩られてる」
「人生は、けっこうそれなりに、甘くもあるかもね」
ということです。
 
「苦労」の種類にもいろいろあるのかもしれませんが、
自分で、ある目的や目標、やりたいことに向かう過程での
「大変さ」は、嫌でも向き合い、考え工夫し、
乗り越えていくでしょう。
そして、その人に必要だと思われる【学び】は、
日々の中に沢山あり、
「自分にとっては、一見不都合に見える」現象として現れてきます。
 
買うまでもなく、もれなくついてくるのです。
 
今の私の身近には、そして、一見、端から見ると、
「大変そうだ、」と思うことも、「楽しいよ!」
と、乗り越えることを、楽しんでいる大人たちが沢山います。
そういう人たちは、「大変だ」とか「苦労してる」とは思っていない。
心底楽しんでいるのです。その状況を。
 
なにごとも、楽しめる大人たちを見ていると、
「大変さ」「苦労すること」を振り撒くことは、
誰もしあわせにはしない、と思うのです。
 
そして、不思議なことに、
楽しんでいると、困ったときにも、
なにかしら助けを得られる。
絶妙なタイミングで。
 
「必要なことは自然に学べるし、
世界は、楽しいことだらけだし、
人生ってけっこうそれなりに甘いもんだよね。」
 
と言える大人になりたい。(笑)
 
私たちは、楽しみ、遊び、笑い、
時には怒りや悲しみを乗り越え、
自分に向き合い、
しあわせになるために、産まれてきたのです。
 
苦労という名の、負の連鎖は、もうおしまいでいい。
 
 遊ぶように、毎日を笑っていたいと思うのです。