けいこさんのブログ

ときどき、料理教室。ときどき、お菓子屋さん。ときどき、ハンドケアと食養指導士。まいにち、わたし。

母性・母親と聴いて何を連想しますか?

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誰でも一度は、「母性」ってなんだろうとか

「母親」ってどういうものだろうとか、

考えたことがあるのではないでしょうか。

わたしも、よく「母性」や「母親」という言葉を

どうとらえていくか、と感じたり考えたりします。

母性とは・・・と調べてみると。

母性(ぼせい)とは、女性がもっているといわれている、母親としての性質。また、子を生み育てる母親としての機能のこと[1]。英語では、motherhood、あるいはmaternityという。母子保健法上の「母性」は、妊娠出産育児という特有の機能を果たす女性そのものを指す概念である。対比されるのは「父性

「母性本能」という言葉が使われることがあるが、現在では専門分野では本能という言葉をこのような意味で使わない。

 

ふーむ。

わたし個人としては、

母性や女性的だと言われている細やかな配慮や、やさしさを

 男性に感じることも多々あります。

若いころ、ジェンダーフェミニズムに興味を持ち、

本を読み漁ったこともありました。

で。

一般論は基本的にどうでもいいと思っているのですが、(笑)

多くの女性を見ていて思うのは、

「母性」「母親」という抽象的な概念に息苦しさのようなものを

感じているのではないだろうか?

ということです。

私も、そのように感じることがあり、

どうして「母性愛」とか聞くと息苦しさを感じるのだろう?

と疑問に思っていました。

「母性」という言葉の意味を調べてみて、

「母親としての性質」?と思ったり。

 

子どもの頃、猫を飼っていました。

何匹か飼っていて、メスの猫もいました。

ある猫は出産して、難なく子猫を育てています。

ある猫は、出産しても、子猫の世話をしないこともあります。

 

自然界でも、備わっているとされている「母親としての性質」

が必ずしもその時に現れるとは限らないのだと、感じました。

何に息苦しさを感じているかというと、

「母親はこうあるべき」「女性はやさしく細やかな心配りができるもの」

「やさしい聖母のような母親像」・・・などなどの抽象的な概念なのだと

思います。

 

やさしさの表現はそれぞれで、

愛の表現もそれぞれで、

目には見えないもの。

だから、ひとつの枠に収めようとすると、

とても居心地が悪く、息苦しく感じます。

でも、私たちは「こうあるべき」という教育を、

小さいな頃から受けてきている。

それを認識する必要があると思います。

 

女性自身が産みだした理想としての「母性」と、「母親像」

男性自身が、自分が女性でないという点から、

母親との決定的な違いへの寂しさなどから産みだした

「母性」や「母親像」への憧れと理想。

 

女性だから、母親だから、

何事にも誰にでも愛情を持って接しなくてはならない

やさしく包み込むような存在でなければならない

細やかな配慮ができなければならない

家族皆のお世話を心から喜んでしなくてはならない

いつでも笑顔でいなければならない

どんなに辛いことがあっても顔には出さず、

我慢して自分を抑えて

いつでも明るい太陽の様な存在であれ

 

と、なぜだかこのように言われている気がしてしまうのです。(笑)

 

私が、とても不愉快に思うのが、

「保母さん(保育士ですが、敢えてこの言い方をします。)や幼稚園の先生をお嫁さんにしたい」

という男性の発言です。

あの・・・保母さんも幼稚園の先生も、子どものお世話をする、

イコール自分もお世話をしてもらえる、

っていう構図(妄想)が、頭の中に在るようですが、

結婚するということは、パートナーになるのであって、

あなたのお世話係になることでは、ありませんから。

ついでに、パートナーは、あなたのお母さんでもありません。

あ、これは私の考えであって、結婚したら男性のお世話をする、と

考えてる(そう思い込んでいる)方もいるのでしょう。

(そして、さらに言うなら、保育士も幼稚園教諭も、

子どもの「お世話」をしてるわけでは、ないのですが。)

 

母親が自分をお世話(ケア)をしてくれる存在であると感じるのは

自由ですし、関係性にもよるので、否定するつもりもありません。

 

私は、

お母さんだから、

子どもを愛するわけではなく、

育ちに関わるのではなく、

あくまで「私」としてなのだと思います。

 

嫌なものは嫌だし、

我慢してまでやる意味を感じない。

矛盾ある我慢はこころにも身体にも毒。

家族のお世話なんてしてないな。

家事は生活の一部で自分のことでもある。

不機嫌な時もあれば、沢山笑うこともある。

やりたいことも、

やりたくないこともある。

そんな私だけど、

こどもが居てくれて、

たまたま、

「おかあさん」と呼ばれる存在になった。

 

そんな自分を「母親としての自覚が薄いのだろうか」

と思うこともあります。

でも、「母親として」ってなんだろう?とまた思うのです。

 

知らないうちに私たちの中に刷り込まれている

様々な概念が私を縛ろうとした時に、

実は自分で自分を縛っていることに気づくのです。

 

私はいつだって自由です。

もちろん、あなたも。

   

母性 - Wikipedia