子どもを抱きしめることは、自分を抱きしめること。
子どもが育つ中で、自分も育ち直すことができる。
子育ては自分育て、なんていうつもりは毛頭なく。(笑)
(子どもは自分で育っていくのだと思ってます。)
むしろ、
「こどもの時に満たされなかった自分が、自分の子どもと共に育ち直す」
のではないかと思います。
グズグズいうこどもを抱きしめたとき、実は
「子どものころ、グズグズしても、
親に抱きしめてもらえなかった自分」を
抱きしめているのかもしれないと思うのです。
こどもに「ごめんね、」と謝るとき、
親に決して謝ってもらえなかったこどものころの「私」に
謝っているのかもしれないと思うのです。
でも、これは、「こどもと自分を同化させる」
ということでは決してありません。
自分のこどもの隣に、
「こどもの頃の自分」が、ちょこんと、居る感じです。
幼稚園で、スタッフとお母さんたちのフリートークという時間があり、
そこで自由なテーマで色々お話をするのですが、
以前、その時にスタッフMさんが、
「子どもが取っ組み合いの喧嘩をしたり、言い返したりすると、
自分はそんな風に出来ない子どもだったからすっきりする、
っていうお母さんがいて、
自分が表現できなかった表現を自分の子どもがすることで、
子どもの頃の自分が満たされて、
自分の子どもと育ち直していると感じることがあるんだよね。
子育てすることで、自分が育ち直せる感覚が得られることがある。」
というようなお話をしてくれたことがありました。
そのお話が、私の中にずっと残っていて、
子どもたちが、ギャーギャーと騒いで泣いたり、
グズグズしたり、意味のわからない難癖をつけたり、
上手くいかないことがあると、「お父さんのせいだ!」と叫んだり、
虫が居ないと、「お母さんのせいだ!」と怒ったり、
他のお母さんと話していると、
「喋るな!早く来い!」とか言われたり、
「食べないならもうごちそうさましたら?」というと、
「ごちそうさまじゃねぇよ!」と悪態つかれたりするのですが、(笑)
自分や夫が子どもの頃にこのような表現をしていたら、
大目玉を食らい、怒られていたでしょう。
でも、それを時に、いえ、度々苛々しつつも、(笑)
「はいはい・・・」と受け入れたり、
なだめたり、切り替えたり、一緒に悲しくなったり、
時には「もういい加減にして!」とも思ったりしつつ(笑)
子どもを抱きしめたとき、
実は抱きしめられているのは、私の方だと感じるのです。
そして、こどものころの私を、
やさしく抱きしめているのだと思うのです。
こどもの頃の私は、
抱きしめられて、ちょっと恥ずかしそうに、
嬉しそうに、微笑んでいる気がします。