自然の中での人間の存在。
昨日は、きりんの希望で
「北方自然教育園」という所にいきました。
何回が訪れているのですが、
体験農園や水田もあり、札幌市の小学校が授業の一貫で、
植え付けや収穫にくるそうです。
様々な樹木もあり、手入れもほどよくされていて、
でも、自然の状態が損なわれない程度という、
バランスが保たれていると感じられます。
奥の方に池があり、
そこにはルリボシヤンマが雄々と飛んでいます。
きりんは、目を輝かせハンターになります。(笑)
小さな網の付いた虫網をもち、
ルリボシヤンマの飛ぶルートを確認して待ちます。
網を一振りし、捕獲!
そのスマートさに、親ながらスゴイ!と声を上げてしまいました。
もちろん、空の王者ともいえるヤンマたちは、
そう簡単には捕まったりはしないのですが、
「簡単に捕まらないから面白いんだよ、」ときりんは言います。
ルリボシヤンマやオニヤンマが堂々と空を旋回する姿を
静かに観ていると、
自然界は、人間がどうこうしていいものではないこと、
どうこうできる様なものではないのだと、感じるのです。
私たちが行った時に、小学3年生の男子4人とお母さん2人の
グループが虫捕りや観察に来ていました。
男の子たちが、カエルやアメンボを採りたくて、
捕まえた蝶を池に餌として入れよとすると、
お母さんたちから、
「え~?!可哀想!!!!!」コール。
これは、可哀想なことなのかな?と思う私。
子どもたちの世界観や感覚は、明らかに大人と違うと思います。
きりんも、蝶やトンボを可愛がっていても、
捕まえたカナヘビの餌に蝶を与えたりします。
何の躊躇もなく。
それが自然界の形だからだと思います。
お母さんたちが、家庭でお肉や魚を食べるときに、
「可哀想~!」って言われることも言うことも、ないだろうにな、
なんて思う私。(笑)
そこには、「いただきます」という命に対する感謝の言葉がある。
日本の、日本人の素晴らしさだなと思います。
これはまた別の話になっていきますが。(^_^;)
りららは木の実を集めてどんぐり屋さんをしていました。
集めて並べたどんぐり(木の実)がいつの間にか無くなっていて、
りららが、
「トトロが買いに来たんだ!」と叫んでいました。(笑)
北方自然教育園では、夏休み中、こおろぎやキリギリスに餌をあげる
イベントもあるそうです。
ちなみに、きりんにも伝えた所、全くの無回答。
【家でもいつでもやってるのに、なんでわざわざ?】
という空気を漂わせておりました(^_^;)
池に咲く睡蓮に見とれながら、
この世界における人間の存在の意味を思ったのでした。
ちっぽけな私たちは必要以上の力を持たないことを
意識した時、自然の一部として、そこに在れるのかもしれません。