父とのこと。
私の父は、昨年4月に他界しました。
75歳でした。
60歳代後半に若年性アルツハイマーを発症し、
初めは自宅で母が介護をし、デイケアセンターや、
短期でショートステイを利用していました。
4人兄弟で末っ子。
父親を小学生になる前に亡くし、
母親に育てられたようです。末っ子ということもあり、
比較的自由に育ったようですが、
とても寂しがりやで、怖がりの一面がありました。
「父親」というものが、どういうものかよくわからないようでした。
私の祖母(母親の母)をとても大切にしていたようで、
「母親の愛」をずっと求めていたようです。
母は、自分の母親が私の父を気に入ったので、
親の事も大事にしてくれるだろうと思い、結婚したそうです。
親が気に入ったから結婚って、自分には考えれらない事ですが、
時代がそういう背景を産んでいたのでしょうね。
私は、幼少期、父親っ子でした。
気分屋ではありましたが、基本的に陽気な人だったと思います。
小さい頃は、父にひどく怒られた記憶がありません。
野球好きの父がビールを飲みながら、
テレビ観戦する膝に私が座わり、ご飯を食べていたのが、
夏に思い出される風景のひとつです。
外回りの営業をしてた時は、私を車に乗せていき、
仕事が終わるまで車の中で父を待ち、
仕事先の社食に一緒に連れていってもらうことも度々ありました。
男の子が産まれたら野球をやらせたかったらしく、
小学生になった私を有無も言わさず、
地域のソフトボールクラブにいれました。
練習や習い事が嫌いだった私は、最初は嫌でたまらず、
ボールが怖くて逃げてはチームの監督やコーチに叱られていました。
思春期に入り、色々考え、今までの積み重ねの中で、
両親に対する疑問や不満は募りました。
父に対しても、同様です。
自分の楽しみであるお酒やソフトボールに夢中で、
病気になるまで、家族で旅行に行ったことすらありませんでした。
父は、家族というものの在り方を考えたことは、
恐らくなかったか、
家族というものどういうものであるか、
経験したことがなかったのだと思います。
そして、自分や、家族に向き合うことなく暮らしていたのだと思います。
笑い話としてよく話すのですが、父は私がどこの高校に行っていたかもしりませんでした。(笑)
干渉されなかったというより、人して、興味がなかったのだと思います。
まぁ、干渉されて口出しされるよりはマシだったのかもしれないと、
今は思いますが。(笑)
そのような親子関係でしたから、
父が亡くなった時、根源的なルーツを断たれたという寂しさはあっても、
父が居ないから悲しい、という気持ちになりませんでした。
それが、とても悲しかった。
そういう関係しか父と築くことができなかった、という事実。
親子としても、ひとりの人としても、
向き合うことが、歩み寄ることができなかった。
それがとても悲しかったのです。
私は、父のことを思い出した時、
父が何に心を動かし、
何を大切にして生きていたのか、わからなかったのです。
きっと父も同様だったでしょう。
私が何を大切にしていて、何に心躍らせているか、
知らなかったと思います。
もちろん、父の人生を全て知っているわけではありませんが、
きっと、ずっと寂しさを抱えた人生だったのではないかと思います。
父の死を迎えた時、改めて考えました。
私は、これから自分がどう生きて、
パートナーである夫や、子どもたちと、家族として、
それぞれひとりの人として、
どんな関係を築いていくことができるだろう?
私はわたしとして、矛盾なく、生きていきたい。
自分と向き合い、
パートナーと向き合い、
子どもたちの邪魔をせず、
「楽しかった、最高!」とこの人生を終えて旅立ちたい。
お父さん、天国では、本来の陽気さを発揮して、
楽しくやってるんだろうな。
あ、お盆で帰ってきてるのかな?
あなたに似て、アバウトな娘でごめんね、お父さん。(笑)