学校に行くという選択、行かないという選択。
息子の小学校では、今週から新学期が始まりました。
我が家は、変わらないペースの今日です。
月曜日は始業式だということを忘れていた私。
宿題・・・どこいったっけ?(笑)
夏の間、虫の生態系調査に登録し、
自分で「むしかんさつのーと」を作って、
調査対象となる虫を見た場所・日時・数を記入しています。
これは宿題とか、自由研究とかとは全く別のもので、
息子きりんが自分で毎日の生活の延長の中でやっていることです。
夏休みが明けて、1学期頑張って学校にいったり、
緊張しつつも学校の様子をみたりしていたこどもたち。
楽しみに学校に行く子もいれば、緊張している子もいるでしょうね。
そして、行きたくないということもあるだろうし、
休みたいな、と思うこともあると思います。
息子は、1学期早々に学校に行かないという選択をしました。
私も、何日か一緒に学校に行き、僅かですが、学校を感じました。
それから、毎週金曜日にはプリントを取りに行き、
担任の先生と、出来る限り子どもの様子を話すようにしたり、
我が家の子どもの成長に対する考え方を伝える様にしています。
そのやりとりの中でも、こどもたちが学校で置かれている状況を
推測するのことは、難しくありませんでした。
休み明け、子どもが学校に行きたがらないとき、
親としては、どんな気持ちになるのでしょう。
驚き、不安、心配・・・様々な気持ちが入り交じるのだと思います。
周囲からの軋轢もある場合もあるでしょう。
私は、鈍感なのか、図太いのか、(笑)
子どもが、学校に行かない選択をした時、「あ、そうなのね。」
と思ったのでした。
彼がそう選択したのであれば、それでいい、と思いました。
今もそう思っています。
私たちの育った社会は、まだまだ学校化社会で、
偏差値教育が根強いと思います。
だた、思うのです。
「学校に行けば、しあわせになれるの?」
「学校に行かないと、しあわせになれないの?」
私は、
学校に行っても、
学校に行かなくても、いいと思っています。
こどもたちが、自分に矛盾なく生きていけたらいいなと思います。
それには、親であり、大人である私が、
最大限自分に矛盾なく生きていく必要があります。
こどもたちは、毎日を楽しんでいます。
「今日も楽しい一日になるよ!」といいます。
それが、私にとっては、何事にも勝る日々です。