けいこさんのブログ

ときどき、料理教室。ときどき、お菓子屋さん。ときどき、ハンドケアと食養指導士。まいにち、わたし。

自分の中から湧き出る言葉。

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毎日、思うのです。

そどれだけ、「自分の言葉で話すことができているだろうか」と。

 

それは、誰かに言われた言葉ではないのか?

どこかで読んだ言葉ではないのか?

誰かが言った言葉ではないのか?

  

多かれ少なかれ、人は様々な物事や、

育った環境、関わっている人々、

今、置かれている環境から影響を受けて生きています。

 

 でも、その中で、どれだけ自分の中で、

「腑に落ち」「行動し」「話すこと」

が、できているのだろうかと思うのです。

 

行動の癖、話し方の癖、言葉の選び方の癖。

勿論、私にも色々あるのだと思います。

 

私は、基本的に思っていないことは言えないので、

お世辞などが言えません。(笑)

違和感があって、決して言えないのです。

気持ち悪くて、口からその言葉を出すことさえ出来ない。(笑)

 

 話すとき、文章を書く時、

「この言葉は、私の中からきたものだろうか?」と

いつも確認しています。

何かに影響されているとしても、

自分の中にきちんと落ちているのだろうか。と。

 

自分の言葉で話し、表現をする方々は魅力的です。

それは、技術的なことでは決してないと思います。

言葉の数でもないと思います。

 

それが仕事となれば、それが求められる場合もあるかもしれませんが、

それでも、その言葉にその人となりが感じられるか、感じられないか、

ということは、仕事においても大きく影響していくと思います。

 

頭の上の方を通り過ぎていく、

「どこかで聞いたことがある」「誰かが言ってた」

「本に載ってた」「お決まりの表現」・・・

コピー・アンド・ペーストの表現はつまらない。

 

そこに、自分はあるの? 

 

そのような場合、どうしても、

「本当に自分の言葉なの?本当に、そう思ってるの?」

という疑問が浮かび、本音が見えず、

私にとって、とても居心地が悪いのです。

 

腹の探り合いに時間を割きたくはないのです。

 

そして、どちらかにより掛かりすぎるでもなく、

甘えるでもなく、

力関係などなく、

過剰に褒めることもなく、

ただ在る姿を受けとめて、

人として、対等な関係性を築いていきたい。

 

在るが儘、

我が儘に、

自分に心地よいやり方で、生きていこう。

ややこしいことなんて、何もない。

すべてはとても単純です。