好き嫌いにとらわれない?
「好き嫌いしてはいけません。」
そんな風に言われて育っている方も多いのではないでしょうか。
私は、そうでもなかったかもしれません。
親が対して私に関心が深くなかったこともあり、
親も、好き嫌いが激しい性格だったからでしょうか。(笑)
それでも、「好き嫌いしない人になりたい」などど、
それは良いことだと、多感な時期に思ったこともありました。
結果、それは自分の気持ちを誤魔化すことなのだと、
後になってわかりました。
自分の好き嫌いって、大事だと思います。
私たち家族が、最も信頼する医師のFBノートからの引用です。
内なる力
育児の急所は、胎児の時期にある。生まれてから育てるつもりでは
遅い。人間の本来もっている力を育てるのは、この時である。 人間の本来もっている力とは、自分の内から意識しないうちに相手
に働きかける働きである。たとえばある人が好きになるのも嫌いに なるのも、良く考えれば、別に大した理由によるものでは無く、何 となく好きになり嫌いになる。頼りになる人と思われる人も、嫌な 感じの人も、調査の結果そうなるのでなく、意識で考える前に感ず る。たとえば、この人はたのもしそうとか、何か冷たいとか、言葉 を交える前に感ずるそれである。これによって好きになったり嫌い になったり、ちかづいたり遠ざかったりする。何故か分からなくて 、後でその理由付けを行っているが、理由のその前に信頼すべきか 、警戒すべきかを感じていうごいている...のである。お互いの内にそういう力があって影響を与えあっている のである。
私たちは、生き物として、動物として、
好き嫌いをしているのだと思います。
しかし、「好き嫌いをするのは、いけないこと」という呪文を
大人たちからかけられているので、
「好きな理由」「嫌いな理由」を後付けして、
なんとなく体裁を保とうとするのです。
大人の呪文は恐ろしいです。(^_^;)
こどもたちが、
「なんとなくいや」
「いやだから、いや」
というのは、真理だと思います。
食べ物の好き嫌いも同様だと思います。
身体が欲しているから食べる。
必要ないから食べない。
(食べ物といっても、ジャンクフードや、お菓子などの嗜好品は別だと思います。身体ではなく、頭が、記憶の再生で欲しがる気がします。)
理由なんて意味がないのです。
遺伝子的に回避したいと思っている。
遺伝子的に欲している。
それなのに、
「みんななかよく」「好き嫌いはしてはいけません」
とか言われたら、ストレス以外の何物でもない。
好き嫌い、というのは、
「内なる自分の声」。
否定せず、ごまかさず、理由を後付けせず、
自分の心の奥の方からくる、
「好き嫌い」
丁寧に扱いたいと思います。