けいこさんのブログ

ときどき、料理教室。ときどき、お菓子屋さん。ときどき、ハンドケアと食養指導士。まいにち、わたし。

好き嫌いにとらわれない?

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「好き嫌いしてはいけません。」

 

そんな風に言われて育っている方も多いのではないでしょうか。

 

私は、そうでもなかったかもしれません。

親が対して私に関心が深くなかったこともあり、

親も、好き嫌いが激しい性格だったからでしょうか。(笑)

 

それでも、「好き嫌いしない人になりたい」などど、

それは良いことだと、多感な時期に思ったこともありました。

 

結果、それは自分の気持ちを誤魔化すことなのだと、

後になってわかりました。

 

自分の好き嫌いって、大事だと思います。

私たち家族が、最も信頼する医師のFBノートからの引用です。

内なる力

 

育児の急所は、胎児の時期にある。生まれてから育てるつもりでは遅い。人間の本来もっている力を育てるのは、この時である。

人間の本来もっている力とは、自分の内から意識しないうちに相手に働きかける働きである。たとえばある人が好きになるのも嫌いになるのも、良く考えれば、別に大した理由によるものでは無く、何となく好きになり嫌いになる。頼りになる人と思われる人も、嫌な感じの人も、調査の結果そうなるのでなく、意識で考える前に感ずる。たとえば、この人はたのもしそうとか、何か冷たいとか、言葉を交える前に感ずるそれである。これによって好きになったり嫌いになったり、ちかづいたり遠ざかったりする。何故か分からなくて、後でその理由付けを行っているが、理由のその前に信頼すべきか、警戒すべきかを感じていうごいている...のである。お互いの内にそういう力があって影響を与えあっているのである。

 

野口晴哉

 

2014年9月17日、久しぶりに私が胎児の時から知っている愛する友が私のところに来てくれた事に感謝しつつ。

 

 私たちは、生き物として、動物として、

好き嫌いをしているのだと思います。

しかし、「好き嫌いをするのは、いけないこと」という呪文

大人たちからかけられているので、

「好きな理由」「嫌いな理由」を後付けして、

なんとなく体裁を保とうとするのです。

大人の呪文は恐ろしいです。(^_^;)

 

こどもたちが、

「なんとなくいや」

「いやだから、いや」

というのは、真理だと思います。

 

食べ物の好き嫌いも同様だと思います。

身体が欲しているから食べる。

必要ないから食べない。

 

(食べ物といっても、ジャンクフードや、お菓子などの嗜好品は別だと思います。身体ではなく、頭が、記憶の再生で欲しがる気がします。)

 

理由なんて意味がないのです。

遺伝子的に回避したいと思っている。

遺伝子的に欲している。

 

それなのに、

「みんななかよく」「好き嫌いはしてはいけません」

とか言われたら、ストレス以外の何物でもない。

 

好き嫌い、というのは、

「内なる自分の声」。

 

否定せず、ごまかさず、理由を後付けせず、

 

自分の心の奥の方からくる、

 

「好き嫌い」

 

丁寧に扱いたいと思います。