けいこさんのブログ

ときどき、料理教室。ときどき、お菓子屋さん。ときどき、ハンドケアと食養指導士。まいにち、わたし。

あなたは、多数派ですか?少数派ですか?

↓いつでも、「自分」であることを楽しんでる人。(笑)

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マイノリティーか、マジョリティーか。

 

これを考える時、私自身は、どちらでもないというか、

 私にとっては、大きな意味がないこと、と思っています。

 

何故かというと、

多数派、少数派と分ける事自体に意味がないと思うことと、

そこに、

「コレが普通である」という、

どこからか刷り込まれている概念があって、

それに対して

「大多数の人はそう思う」とか

「そう言ってる人が少ないから少数派」という意見がでてくるわけです。

 

大体において、

「普通」っていうのが、何であるのか?ということろに、

まず向き合う必要が出てきます。

 

誰しも、自分の基準が「普通」だと思っていることが多いと思います。

 

しかし、

自分と他者が「全く同じ価値観」であることは、

殆どないと言えると思います。

 

そう考えると、

「普通」なんていうものは、

この世界に存在しないのでは?

 

ただ、同じような(【同じ】ではなく、【同じような】、です。)

意見の人が集まると、力を持ちやすいというのも、

政治などからしても、顕著なことかもしれません。

 

でも、大多数意見が、正しいというのとは、違います。

かといって、少数意見が正しいというのも、違うのだと思います。

 

別に、どちらか一方が正しい、正しくないということに、

そもそも意味などないのですから。

 

少数民族で、辛い思いをしてきた歴史なども、

世界に多く在ると思います。

 

それは、自分以外の価値観を認めない、ということから

起きてきたのではないでしょうか。

自分の存在を肯定し、受け入れられないと、

他者に対して、たとえその数が少なくても、

自分を脅かすのではないかという、

何か潜在的な意識が働くのかもしれません。

 

そして、少数側は、押さえつけられるのではないか、

という、抑圧の恐怖がどこからか働くのかもしれません。

 

 「みんな」が言ってるから、「普通」はそうだから、

ではなく、

「私の意見は、少数派だから」

でもなく、

私が、どう感じ、どう考えるのか、です。

 

そして、実は、

自分の中の「普通」という意識が、マイノリティーを抑圧し、

自分の中の「少数」という意識が、マジョリティーを脅かしている。

 

実は、どこにも、抑圧も、脅威も存在していない。

 

すべての人は、どんな価値観にも因われることなく、

自由なのだと思います。