「あたりまえではないこと」の積み重ねの中で育つことの有り難さ。②
幼稚園スタッフMさんが家族キャンプの前日に、こんな話をしてくれました。
「家族キャンプの準備で、めっちゃ暑い日に、広場の草刈りをしていて、
その草を沢に投げていたんだよね。で、ふとみたら、きりんも同じように草を
運んで作業してくれてたの。でも、『ありがとう』と声を掛けるのは違う感じがしたんだよね。自分にもできることを、ただやってる、っていう雰囲気で、『手伝ってくれてありがとう』というのは、上からの目線になっちゃうなぁ・・・なんて言えばいいかな~って思って最後まで考えてたんだよね~終わった!イエーイ!ってハイタッチするのが一番良かったかな~なんて思ったけど(^^)」
この話を伺って、
「ありがとう」という言葉かけひとつにも、こんなにも心を配ってくれている・・・!
ということに、驚きと共に感謝で胸がつまりました。
ありがたいなぁ・・・・。
いかに、上下の関係でなく、横の繋がりを大切にしてくれているか。
「子どもだから」ではなく、「一人の人として尊重されているか」。
その時のきりんは、きっと、
お礼を言われたいとか、褒められてたいとか、認められたい、とかではなく、
単に、そこに居て、自分に出来ることをしたに過ぎなかったのでしょう。
それも、私の想像でしかありませんが・・・・。
きっといつもスタッフがどんなに大変だと思われる事柄も、
「あたりまえのこと」として、楽しみながらしてくれてる姿を観て感じて、
そのようにしたんじゃないかな、と想像したのでした。
Mさんの感性にはいつもいつも支えられ救われ、気づきを沢山頂いています。
繊細な感性と、ユーモアと愛。
勝手に私の心の師だと思っています。(笑)
「あたりまえ」のようにしてくれていることが、
いかに「あたりまえではないこと」であるか、「有難いこと」であるか、
それを日々感じられる環境であること。
こどもたちの中にそれは深く、強く、根付いていくのだと思います。
これからどんな社会で生きていくのかわかりませんが、
その時にこの「あたりまえでなはない」ことの積み重ねの中で
育ったことが、彼らの揺らぐことなき根となり、生きることを支えてくれる。
私はそう確信しています。
そして、こどもたちには到底及ばないながらも、
私も少しづつでも、成長してもっと自分を見つめて生きていきたいと思います。