けいこさんのブログ

ときどき、料理教室。ときどき、お菓子屋さん。ときどき、ハンドケアと食養指導士。まいにち、わたし。

5月19日・今日もまとめない。「春は徒然、我が家は思春期花盛り。」

5月も半ばを過ぎました。新学期が始まり怒涛のようでした。日々濃いです。ブログもPC開いて書いては、子どもたちに呼ばれて、閉じ、そのままになり、また開いては呼ばれて・・・以下同文。(笑)そんな毎日ですが、飽きることなく、盛りだくさんです。今日は春の冷たい雨。ちょっとホッと一息つくこの感じが心地よいです。最近の我が家の庭は、水仙や林檎の花が咲いています。家の中では、第一子・きりん(9歳)に加え、第二子・りらら(もうすぐ5歳)も思春期に突入しております。(^_^;)

 【次男・りらら思春期花盛り。】

次男・りららは年中組になり、ますます思春期花盛り・満開の気配。(-_-)

どんなことでも、注意されると気に入らない、どんな注意の仕方をしても気に入らない。ちょっと注意しても大声で怒ったりする。気に入らないとゴミ箱を投げる、ドアを蹴る・・・・。先日は、炊きたてご飯の卵丼が、本人が思っていたより熱かったらしく、「熱い!」と皿を払い除けました。(# ゚Д゚)なに~!!!!!!!!昭和の封建親父か!?と思いつつ、いつもなら、「食べなくていいよ!」となるのですが、少しパターンを変えてみよう、と思い、「そんなに熱かった?気がつかなくてごめんね~」と冷静に言ってみました。心の中ではワナワナ(# ゚Д゚)していましたが。笑

しか~し!どうしても注意しなくてはならない時がある。危険なことは勿論、親である私たちの姿から、「こんなことは不快だと思う」「これはやっちゃダメでしょ」という線引を日々の生活の中で伝えたり、感じることも大事だと思っているからです。基本的には、「ここまでやったらダメだろう」「危ないだろう」ということは、既にわかっているし、身体でも感じていると思います。それでも、「やってみたい」「試してみたい」という場合もあると思います。

 【言葉にならない機微がある。】

どんな風に伝えたら、お互いに嫌な気持ちにならないのだろう?と私も日々考える。第一子・第二子・第三子(これからね)で、それぞれ性格も違うわけで、同じ伝え方では伝わり方が違う。親の脳内変換が求められているのです。しかも急務。(^_^;)

 

第一子・きりんはどちらかというと身体でぶつかってくるタイプではありません。言葉で表現する傾向があります。故に口達者で私も敵わなくなってきていますが・・・(^_^;)しかし、第二子・りららは言葉で表現しきれない時に、身体で表現してくることが多くあります。本気で私を叩いたり蹴ったりすることもあります。言いたいけど現しきれないもどかしさ、を彼から感じます。でも、それも大事な表現だと思います。全てが言葉に置き換わるわけではない。言葉にしないだけで、感じている。ある時、泣いていた彼に、「どうしたの・・・?」と聴いたら、「・・・言えない。」と言ったことがありました。私はハッとしました。「言えない」ことがある。言いたくないことがある、言葉にしない感情や、言葉にするには微細でしきれない事柄が、毎日毎日、瞬間瞬間起きていて、それを感じている。

 

言葉にした瞬間に、それは全く違ったものになってしまう。

言葉は便利なツールであるけれど、それが全てではない。

同じ言葉を使っても、使う人によってその感じ方も意味合いも微妙に違う。

言葉の持つ「限界」と「危うさ」がある。

 

【それぞれの成長を感じる機会。】

そんなことを思って試行錯誤していた矢先、色々あって、私とぶつかり、りららの感情大爆発が続き、私もついに爆発しました。 

「どんな伝えかたをしても、気にいらないって怒るし、でもどうしてもやってはいけないこともある!どうしていいかわからない!もう疲れた!!!」と子どもたちの前でわんわん泣きました。まぁ、様々な日々の疲れも溜まっていたこともあったと思います。その日は夫が早めに帰宅してくれいて、その現場を見ていたので、りららを誘ってお風呂に入ってくれました。

 

私がメソメソして、「・・・もうどうしていいかわかんない。」と呟いたら、きりんが、「お母さん、きりんもそうだったよ。小さい時は、注意されると自分が責められてる気持ちになっちゃうんだよ。でも、大きくなると、そうじゃないってわかるから、受け流せるようになるからさ。今は、りららも自分を出している時期だから、見ていてあげたらいいよ。」母、号泣。

もう、どっちがお母さんかわからない。(笑)その夜、布団に入ってきたきりんが、「お母さん、今日はりららのことお疲れ様ね。でも、もう少し大きくなったらわかるようになるからさ、大丈夫だよ。よく眠って休んでね。」母、布団の中でまた号泣。笑 

りららの思春期花盛りは、私の脳内変換の必要性と、私が言葉にいかに依存しているかとういう事への気づきの機会でありました。そしてまた、りららの成長を感じる機会でもあり、それがまたきりんの成長をも感じさせてくれているのです。あぁ、こうしてみんな大きくなっていくんだ。母も置いていかれないように成長したいです・・・。なかなか疲れますが、母、日々ガチンコです。スルーできない、ガチンコ体質なのか?!と最近思います・・・笑

 

私が爆発している間、きりんが、末娘を抱っこして違う部屋にそっと連れていきました。そして、ずっとあやして遊んでいるのが視界に入りました。きっと意識してのことではないと思いますが、妹がその場に居ないほうがいいと感じたのだと思います。そんなさりげない配慮に驚きます。

 

子どもたちは、言葉にしない、ならない部分で大人が思っている以上に、多くのことを感じ取っている。それを言葉にしないからといって、わかっていないわけではない、感じていないわけではない。どこまで、思いを馳せ、寄り添えるか。まだまだ修行の足りない自分を痛いほど感じています。

 

言葉の限界を感じながらも、今日もこうしてまとまらない言葉を綴っていく。今日も素敵な素敵な一日になりますように。 

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