けいこさんのブログ

ときどき、料理教室。ときどき、お菓子屋さん。ときどき、ハンドケアと食養指導士。まいにち、わたし。

今日もまとめない。「娘を授かった意味。そして、結婚10周年。」

【一昨日で娘は1歳。昨日は結婚10周年記念日。】
 

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皆様があたたかく見守ってくださり、一昨日、娘が無事1歳を迎えました。
ありがとうございます。数歩、しっかりと歩くようにもなり、自分の意志もはっきり主張し、周りの様子もよく観察し、草や土を食べ腸内環境を整えるのに余念がありません。笑
全く愛想を振りまかないタイプで、ちょっとやそっとじゃニッコリしませんが、その辺りもとっても好きです。笑
 

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生き物が大好きで、兄たちの通う幼稚園でもヤギさんに草をあげながら、自分も草を食べてるというヤギダさん。犬が大好きで、散歩中の犬をみかけると一緒に散歩にでかけようとします。(^_^;)
しかし、本当にどっしりとした安定感があり、あぁ、女性って逞しい、命を育む性なのだな、と彼女を見ていると感じます。強さの中にもほわっとしたやわらかさを感じる。女性って素晴らしいな、と思います。
 
第一子、第二子は男の子だったこともあり、二人の育ちの中では感じなかった自分の育ちの中から湧き上がる親から受け継いでいる様々な負の連鎖を感じ、この数週間、なかなかしんどい時間を過ごしていました。「私は、自分の親と同じ様にしか子どもを育てられないのではないか?」という恐怖にも近い気持ちに事あるごとに襲われ続ける日々を過ごしていました。
 
何気ない家族の言動が、私の中に刷り込まれていた負の連鎖の引き金を引きます。
その度に自分はどれだけ、「子ども時代を子どもらしく過ごすことを奪われてきたのか」を痛感するのです。そして、その事への怒りが沸々と身体の奥底から湧き上がってくる。この怒りには終わりがないのでは・・・?と思う程、大きく、重たく、苦しいもので驚いています。
 
しかし、この記憶の再生は、私が、今、いつか母になる可能性のある娘の育ちに関わるときに、私が「親から受け取った負の連鎖を断ち切る為に必要なことなのだ」とふと感じる瞬間があり、少しづつ怒りは静まってきています。怒りも悲しみも、記憶の再生でしかないとすれば、誰も悪くなどない。あとは浮き上がってきたその記憶を手放していくという作業をひたすら黙々と繰り返しています。
 
私は、母と同じではない。
そして、子どもたちも、私ではない。
だから大丈夫。
 
娘がいつか母親になることがあるならば、私のように苦しい思いをさせたくない。
母になり、自分の子どもの育ちに関わる時に、子どもが可愛く愛おしいと味わえる時間が少しでも多くなるように、邪魔をしたくない。負の連鎖をゼロに出来ないとしても、限りなくゼロに近づける努力をしたい。私には出来る。私はこれから、もっと成長するのだ。今はそう思っています。
 
男の子もいつか父親になる。父はパートナーである母を支える大きな大切な役割があると思います。
しかし、母と父は役割が違い、母の存在とは、「妊娠」「出産」「子育て」は、まさに肌と肌を超えたところにある。そういった意味で、幸せでもあり、時には苦しく、何か重い責任のような目に見えない物に押し潰されそうだと感じることもあります。「母」になる可能性のある女性の育ちに関わることになったことは、私の大きな節目です。そういう意味で、女の子を授かった意味を噛み締めています。
 
一昨日の娘の誕生日、私は、やっと戻るべきところに戻る準備が調った気がしています。
 
娘が誕生日、ということは夫も同じ誕生日なので、倍めでたいです。笑
そして、誕生日の翌日の昨日は、結婚記念日でもあります。毎年忘れていて、お互い思い出さないこともしばしば(^_^;)今年は、よ~く数えたら、10周年でした。あら~。笑 出逢ってからはかれこれ16年。時の積み重ねを感じています。
 
いつも夫は誠実に私に向き合ってくれています。本当にありがたいです。これからも、共にゆっくりと歩みを味わって行きたいと思います。基本的には人は自分でしあわせになるものだと思っていますが、彼には、言葉では言い尽くせないたくさんの感謝の気持ちがあり、自分もしあわせな人となり、彼をもっとしあわせにしたいと思うのです。夫婦であること、毎日が学びです。彼と家族になれてしあわせです。こどもたち、そして夫に感謝の気持ちをこめて。ありがとう。
 
そして、そして、いつも私達家族をあたたかく見守ってくださる皆さん、本当にありがとうございます。これからもマイペースな我が家をどうぞよろしくお願いします。
 
 

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