けいこさんのブログ

ときどき、料理教室。ときどき、お菓子屋さん。ときどき、ハンドケアと食養指導士。まいにち、わたし。

「勧めないこと」のススメ。

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出産前に会いたい知人がいて、良かったらと誘われたイベントに行きました。

そのイベントの趣旨やどういった集いかよく知らなかったのですが、ただ、

「知人に会いたいな」と思ったので、家族で出掛けました。

会場の様子からして、何か特定の集まりであるという雰囲気が漂っていました。

まぁ、思想も信条も自由ですので、否定するつもりは全くないのですが、

色々感じた違和感が拭えず、考えているところです。

 

そこにいらっしゃる方々は基本的に親切で、私たちは別に困っていないのに、

「どうしました?」「何かお探しですか?」とこちらの様子を心配してくれます。

それは、その方々の「親切心」なのだと思います。

 

でも、実際は、全く困っていないので、声をかけられる方がその対応に追われて、

困ったりするのです。(笑)

それが繰り返されると、私の中で、「放っておいてくれた方が親切なんだけど・・・」

という気持ちが湧いてきたりして。(笑)

困っていても、人に助けを求められない人にとっては、そのような声掛けは、

とてもありがたいものなのかもしれないのですが。

 

私たち家族が、知人のイベントでのお仕事の切りが良くなるまで、

ご飯を食べて待っていると、全く面識のないおばあさんが勢いよく話しかけてきました。何の前置きもなく、一方的に話をしています。しかも、

「この家族は何か困っている、私が教えてあげなければ」という前提があるような

お話の流れ。(笑)

私が、「何なんだろう?」「家族でご飯食べてるから、ゆっくりしたいんだけど・・・」と、段々と不快度数が上がって来た頃、きりんが、一言、

 

「誰?(-_-)・・・お母さん、知ってる人?」

  

私の代弁者かと思いました。(≧∇≦)(笑)

 

自分の中でパラダイムシフトが起きると、「自分はわかっている!」「これは良いことだらか、人に広めなければ!」「知らないなら教えてあげなければ!」という、

知らないうちに、「自分は他の人より優れている」という錯覚を起こしてしまうのではないかなぁ・・・・と改めて考えさせられました。

 

「わかる」ことなんてないのに。きっと死ぬまで。(私の場合はそう思っています。)

必要なことは、その人がタイミングで受け取ることができるし、そのように物事が

すすんでいくと思います。必要だと認識すれば、自分で行動してみようと思うし、

人にも聞いてみようと思うからです。

 

私も以前は、「良いことならお知らせしたほうが誰かの役にたつのでは」と、

自分が経験したことや、得た知識に関して思っていた時期がありました。

でも、「それは違うのかもしれない」とある時思い、何かを勧めることはしないことにしています。

知りたいタイミングもそれも人それぞれ、求めるタイミングも、受け入れることができるタイミングも違い、本当に繊細なものだと思います。

何を選ぶにしても、「誰かに勧められたから」「言われたからやってみよう」ではなく、「自分で選択したのだ」と認識できる過程が、一番大切だと思うのです。

 

だから、「勧めないこと」のススメ。が私にはしっくり来ています。(笑)

 

求めてもいないのに、勧めることは、

「大きなお世話、以外の何物でもないじゃん。」と、改めて感じたのでした。(笑)

朝から毒吐いてスミマセン。(^_^;)

 

 

何か信じることが悪いわけではないと思います。

ただ、何かに寄りかかり、頼り、「コレは絶対間違いがない」と思うことは、

危険だと感じます。絶対なんてないからです。間違うこともあるからです。

そして、それを失った時、支えをなくして自立していられるのか?と考えます。

 

自分で経験し、考えることです。感じることです。

「~さんがこう言っていたから、間違いないだろう」ということではないと思います。

 

地に足を着け、目の前の人たちのとの毎日を味わい楽しく暮らすこと。

それ以外に私に今、できることはないし、したいこともないんだよな~

と、思った一日でした。

 

何にしても、勧めないことのススメ。でした。(笑)