けいこさんのブログ

ときどき、料理教室。ときどき、お菓子屋さん。ときどき、ハンドケアと食養指導士。まいにち、わたし。

『「わかる」ことなどないのだよね。多分。の巻。』

f:id:keiko-san:20190209135353j:plain

 前回のブログからなんと5ヶ月も経っていました。皆様、我が家の3兄妹共々、今年もよろしくお願いします。笑(旧暦では2月が新年だしね。笑)毎日の日々は、何処か遠くに旅に出ている感覚に近いものがあります。一言で言えば、「飽きることなどない。」いや、本当に子どもたちとの日々は飽きることなどないし、飽きる暇などないです。笑

 

『わかる』って?

 

ずっと私の中で考えていることの一つである、『わかる』ということ。

「わかる」ってどういうことだろう?と。

相手を理解する、とか、状況を把握する、とか、問題を解くとか、いろいろあると思うのですが、様々な点から考えた時に、「あらゆる事柄は、そう簡単にはわかるとは言えない」と思っています。

 

『わからなくもない』という表現。

 

そんな中、昨日こんな出来事がありました。

幼稚園で年中さんと年長さんがなにやら揉めていました。年中さんは2人、年長さんは数人。原因はわからないけれど、なんだか長い時間やりとりしていました。年中さん一人に対して年長さん数人がいろいろ言ったり喧嘩モードになっていたので、しばらく様子を見ていましたがちょっとエスカレートしそうな雰囲気を感じたので、「一対三とかは無しなんじゃない?」とさらりと声をかけたりして引き続き様子を見ていました。

そんな様子を見ていたりららが、ぽそっとこんなことをいいました。

「りらら、Sの気持ちもわからなくもないよ。」と。「りららも同じようになったことあるから。」と。(Sくんは年中の同じクラスの子で今回年長さんに色々言われたりしていた男の子です。)もちろん、それを本人に伝えるわけでもない。

 

「わかる」ではなく、「わからなくもない」です。

「わかるよ」というと、共感しているように聞こえることもあると思いますが、実際、相手と同じように感じることはとても難しく、相手の立場を最大限想像したとしても、「簡単にはわかりえないのでは?」と思うのです。

そんな時に、りららの言った「わからなくもないよ」というのは、「わかるよ」ではなく、相手の立場を想像した時に、また、自分も同じような経験をしたことがある、でも、違う人だから、同じようには感じてはいないかもしれない。だから、「わかるよ」ではなく、「わからなくもないよ、その気持ち。」なのではないかな、と。

それは、彼の今までの経験の中で多くの方々に寄り添ってもらい、育まれてきた感性なのではないかな、と私は感じましたが、それも私の想像の範囲を超えはしません。

 

「わからない」から「理解する努力」をしたいと思うし、「わからない」から最大限想像力を働かせる。私がもっと成長しなくちゃな、すっかり置いていかれてるわ~と思った出来事でした。(^_^;)「わかる」「わかってる」と思ったらそこで自分の成長は止まってしまうだろうな。

 

昨日、車の中でりららが夫にこんなことを尋ねました。

「お父さん、心ってなに?」

5歳、ますます手強くなるな。笑 

f:id:keiko-san:20190209135603j:plain