けいこさんのブログ

ときどき、料理教室。ときどき、お菓子屋さん。ときどき、ハンドケアと食養指導士。まいにち、わたし。

「凛とした女の子におなりなさい」

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娘、生後3ヶ月になりました。

 

 

私自身、小さい頃は、「男の子に産まれればよかった」とずっと思っていて、

スカートを履くことが嫌で、男の子と遊ぶのが楽しくてたまりませんでした。

ピンクの洋服は一切着ませんでした。避けていた、とも言える気がします。

格闘技などを観るのが好きで、女子プロレスに憧れたことも。(笑)

わかりやすい形で、「強くなりたい」と思っていたのかもしれません。

 

私の親の世代は、女性は男性の生き方に翻弄されるケースも多く、

女性自身が自分のしあわせを考えるということが少なかったように思います。

「なんだか、女の人って我慢ばかりして大変そう。」と思っていました。

しあわせそうな女性が身近に居なかったのです。

そのような女性ばかりみていたので、「女性であること」への肯定感が持てなかったのだと思います。

 

実際、私の場合は、「女性として産まれて良かった」と思えるようになったのは、夫と出逢い、子どもを授かり、「産み、育む性」「多くの事柄、変化を受け入れることができる性」であるということを体感してからだと思います。

これは、一概に、出産や育児だけを通じてのことだけではないと思っています。

そのような経験を通じていなくても、素晴らしい女性は沢山います。

女性の柔軟さ、逞しさ、あたたかさ、そういった女性の方々に出逢う事ができて、私の意識も少しづつ変化してきたのだと思います。

夫が、女性に対して尊敬の念を持っていてくれたことも大きかったと思います。

 

先日、幼稚園の園長室で阿久悠さんの詩集のタイトルが目に入りました。

 

 

『凛とした女の子のおなりなさい 』 阿久悠

 

女の子だからといって

ヨワヨワしていたり

メソメソしていたり

何かというと他人を頼りにして

愛しいと思われてみたり

そんな子である必要はないのですよ

 

助けてやりたいとか

庇ってやりたいとか

守ってやりたいとか

男にとってはいい気分だろうけど

そんなものは美徳でも

魅力でもありゃしない

 

いいかい 女の子だって

強くってもいいんだよ

粗雑であったり

乱暴であったり

不行儀が平気は困るけど

 

ちょっとした挨拶の誠意と

心地よい笑顔の会釈と

問われた時にハイと答える

意志さえ感じさせれば

強くっていい

 

男は自分が弱い者だから

縋りつく子を抱きしめるが

そんなのは三日だけの愛しさ

あとは只の重荷になる

 

傷つけないようにハッキリと言い

侮辱を感じさせない態度をしたら

 

あとは自由に生きなさい

強く生きなさい

自由で強くてやさしい子を

凛としていると言います

 

凛とした女の子になりなさい

凛とした・・・・

 

近頃いないのです   

 

 

この詩に、「女の子だから・・・」ではなく、もっと深いところで生きる上での逞しさと潔い美しさを兼ね備えた「在り方」を感じました。

女性であることを、楽しみ喜び、性別を越えて、自分自身を好きになって欲しいと思います。そして、のびのびと、何処までも自由に生きて欲しいと思います。

 

女性に産まれて良かった、と今、私は思っています。

 

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「あなた」が来てくれて、居てくれて、よかった。

 

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みなさまに沢山支えられて、9月15日に無事に元気な女の子が産まれて来てくれました。なんと!夫と同じ誕生日。びっくりしました。(笑)

予定日は9月26日。上の子どもたち2人も予定日とは全く違う日を選んで産まれてきました。予定は、大人や医学的な予定でしかないんだよなぁ・・・と、その時に思いました。

 

そして、昨日の私の誕生日には、多くの素敵なメッセージを頂きありがとうござます♪

今年は大きな宝物を授かり、ますます自分の学びが増えていくと思います。
 
自分と向き合いながら、
笑ったり、泣いたり、怒ったり、考えたり。
自分に正直に、誠実に在りたい。
謙虚に、それでいて、のびのびと生きていきたい。
 
産まれた時、いえ、産まれる前から、赤ちゃんは愛と光に包まれています。
多くの愛あふれる眼差しの中に包まれています。
 
つやつや、ピカピカ、まんまる。
 
私もそうやって、沢山の愛と光に包まれてこの世に産まれて来たのだ。
いつも忘れかけるその事を思い出させてくれるのが、誕生日。
 
私も、あなたも、みんな。
つやつや、ピカピカ、まんまる。
 
女の子であるとか、
男の子であるとか、
それを越えて
あなたが産まれてきてくれてよかった。
あなたがそこに居てくれてよかった。

 子どもたち三人に囲まれてそう思います。

夫にも日々そう思います。

 

そして、私に出逢ってくださった方々、みなさん。

 

「あなた」が産まれてきてくれて、そこに居てくれて、よかった。

 

何も特別なことをしてくれなくていい、そこに居てくれるだけで私はしあわせです。

 

出逢えた奇跡に感謝して。2017年10月13日

 

「ひとりぼっちのライオン」と家族のかたち。

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幼稚園には沢山の絵本があります。

その中の一冊に、「ひとりぼっちのライオン」という本があり、

りららがこの本を気に入っていて、何回も読んで欲しいといいます。

 

絵本のストーリーは、友達のいないライオンが、ハリネズミや羊や鹿のように

自分でたてがみを逆立ててみたり、カールさせてみたり、枝で角を付けてみたりして、

彼らと友達になろうと近づくのですが、みんな怖がって逃げてしまう。

でも最後には、雨に濡れたライオンが、友達になりたくて、他の動物になろうと真似た装飾が取れ、ライオンのままで、友達が欲しいということを話してみんなと友達になる、というものです。

 

何回も、何回もこの絵本を読んだあと、

りららがこう言いいました。

 

「友達もいいけどさ、家族をつくればいいのにねぇ。」

 

面白いなぁ・・・と思いました。

りららの中で「家族」とは、どういったものなのかなぁ・・・。

 

いろいろ私なりに想いを馳せてはみましたが、

家族で通う幼稚園にお腹の中にいる時から通う彼は、理屈ではなく、

「家族」というものを、肌で色々感じているのかもしれないなぁ・・・・。

 

家族の在り方は色々で、それぞれ。

彼がいつか、今の家族ではない「家族」を作るであろう未来が、今から楽しみです。

こどもたちが、それぞれの家族をつくっていくその日まで、

今の家族をひとりひとりが楽しんでいけたらいいなと思います。

 

私と夫が出逢って、家族になり、子どもたちを授かり、少し大きな家族になった。

これは、本当に様々な偶然と必然が積み重なったものだと思います。

縁あって家族になれたことは、本当に有難いことなのだと思います。

 

もうすぐ増えるもう一人の家族。

また新たな家族の形になっていくのだと思います。

4人から5人へ。四角形から五角形へ。

ちょっとづづ丸へと近づく形。

予測のつかない毎日を皆で味わっていきたいと思います。

 

 

 

 

大人と子どもの境目はどこなの?

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きりんに、こんな質問をされました。

「こどもはいつから大人になるの?どこから大人になるの?」

 

うーん・・・難しい、というか、私にはわからない。(笑)

社会的な定義だと、例えば選挙権を得たら、とか

社会に出て働くようになったら、とかあるのかもしれませんが、

そういったことを聴いてるわけではないだろうから、そのことも話しつつ、

結局、「お母さんにも難しくてわからないから、引き続き考えてみるね。」と

答えました。

そして、

「きりんが自分の周りで『この人は大人だな~』って思う人はいる?」

と尋ねたら、

 

「いない。」

 

と即答。(^_^;)

父も母も彼からみて、「大人」とみなされていないらしい・・・。

ちーん・・・・(^_^;)

今度、きりんの思う「大人」ってどんな感じなのか話を聴いてみようと思います。

 

「大人」「こども」をどのように捉えていくか変わってきますし、

そもそもその線引をする必要があるのかなぁ?と思ったり。

社会では例えば何歳以上は大人料金です、とかそういった目安としてわかりやすいので、境目を付けることもあるとは思いますが。

 

大人って、なんだろう?

 

引き続き感じて考えていこうと思います。

 

いつも思うのは、大人であるとかこどもであるとか、

そういったことを越えて「ひとりの人」としてどうあるかということをお互いを大切にしていけたらいいなということかな。

 

答えのでないこと、正解のないことはたくさんある。

でもそれに想いを馳せたり、考えてみることは面白いなと思います。

「わからないことってたくさんあるんだ。」と思うことも悪くないと思います。

というより、私にとっては、世界は「わからないな~」と答えのでないことだらけです。(笑)

 

こどもたちに質問されるといつも思うのですが、「正解」を求めて聞いてるのではないんだろうな、ということです。(虫の飼い方とか、ある程度良いやり方のあるケースへの質問は別だと思いますが。)

 あくまでも、「あなたはどう考えてるの?」と私がどう考えているかを知りたいと

思って聞いてることも多くある気がします。

 

正しいとか間違ってるとか、そういったことではなく、自分がどう感じ、

どう考えて生きてきているのか。

また、何を大切に思っているか、何にとらわれ、こだわっているのかもよく見えてきます。

 

 こどもたちに、色々質問される時、

私は、自分を見つめる機会をまたひとつ得ているんだな、と思います。

 

 私自身が、『大人として、人としてどう在りたいのか』を引き続き模索していこうと思います。

 

 

 

 

 

好きなことだけをして生きる。

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昨日、幼稚園で「足元の小宇宙」というNHKで放送された映像をこどもたちと

鑑賞しました。

「埴沙萌(はに しゃぼう)さん」という80歳を過ぎた植物写真家の方の

ドキュメンタリーでした。

埴沙萠のエコロジー

 

我が家の子どもたちは、興味津々で観ていました。

買ってきた椎茸やしめじからも胞子が飛んでいたよ!

家でも見えるかやってみたい!

と、帰宅して夫に熱心に二人で映像の内容を話していました。

 

私は観ていて

「命の輝きを遺す」ことをしている埴さんの輝きを感じました。

好きなことをして生きていると、こんな素敵なお顔になるんだなぁ・・・。

私も40年後にああいう顔をして生きていられたらいいな。

 

好きなことだけして生きていけばいいよ、と子どもたちに思うのです。

好きなことの中の苦労や大変さはきっと大人の思う苦労や辛さではないかもしれない。

好きなことの中のひとつの過程でしかないのかもしれない。

 

私も、できるだけ、好きなことだけして生きていきたい。

40年後の自分の顔を鏡で観るのを楽しみにしながら。

 

 

「自分たちで決めて、納得する。」

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先日のブルーベリー狩りの後の事。

甘くないものを求め(笑)昼食を摂る為に近くのショッピングセンターに入ってるお店に行こう、ということになりました。

 

レストラン街をぐるっと見て回り、「何が食べたい?」と聞くと、

きりんは「中華」りららは「イタリアン」・・・・

 

「どうするか、二人で話し合って決めて。お母さんはどっちでもいいから。」

 

と言って話し合うこと30分以上。(-_-;)

 

大抵の場合、譲ってくれる事が多いりららも、その日は頑として「どうしてもパスタとフォカッチャを食べたい!」と言って譲らない。

きりんは、「どうしても中華が食べたい!」と譲らない。(^_^;)

きりんがジャンケンを提案するも、りららが、「ジャンケンは嫌いだ」と拒否。(笑)

 

「パスタでも中華でもないものにしたら?」と言ってみたけど、ブーイングの嵐。(笑)大抵の場合、りららが譲ってくれるので、「今日は譲ってあげたら?」と、

試しに言ってみるも、

「きりんが合わせればいいってこと?!(# ゚Д゚)」と憤慨する。(笑)

 

「とにかく、二人で話して決めて~。決まらないなら、お母さんが食べたいお店に入るか、家に帰ってご飯にするからね。」

 

そこからまた20分ほど経過。

私はレストラン街のフロアにある子ども服をちらちら観たりして時間潰し。(^_^;)

すると、突然、

「今日はパスタにすることにした。」ときりんが言いに来たのです。

どうやって決めたんだろう?

きりんに聞いてみましたが、「ん~忘れた。」と。(^_^;)

 

あれだけ「中華がいい!」と言っていたのに、自分で、「これでいい」と決めた後は、

「本当は中華が良かったのに~」とかいう事は、一切言いません。

 

自分で決めるということは、そういうことなんだなぁ。

 

「本当はこうしたかったのに!」という想いが残ると、知らないうちにそれが

不満となって自分の中に残ることが多くある気がします。

 

自分で決めて納得する。

どこかで折り合いをつける。

 

私にとっては、簡単なようで、結構難しい。

子どもたちはそうでもないようですが。(笑)

でも、大事だな、と思います。

そうでないと、本当に意味で、先には進めないんだろうな、きっと。

 

 

 

 

 

おがわのじかんで、わたしのじかん。

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昨日は、お友達のMちゃんオススメの素敵なお店、
「おがわのじかん」にランチに行きました。
夫が子どもたちを公園に連れていってくれたので、
おひとりさま時間♪(≧∇≦)
 
ずっと行ってみたいと思っていたお店。
ご夫婦で営まれていて、奥様は管理栄養士さんだそうで、
バランスを考えたメニューを提案してくれます。
面白いのは、メニューを自分の体調と心の状態で選ぶ、もしくは、ご主人がアドバイスくださって選んでくれる!
 
近頃の私は、「美味しいものを食べたいけど、何が食べたいのかわからない~」という状態が続いていました。
お腹も圧迫されて苦しいし、舌の状態も甘味や調味料に、かなり敏感な状態になっているので、「これが食べたい!」「これが美味しい!」という判断が難しくなっていました。
 
私も選んで頂き、身体は重いけど心は元気ということで、
夏バテ対策メニューの野菜と豚しゃぶのランチに。
野菜は野幌直売所のものを使い、お米は北海道産。
なんと言っても凄いのは、スープ!
 
真昆布を使って、二日間かけて仕込むそうです。
塩はほんの少ししかつかわないそうで、素材の甘味を引き出す為だと思います。それでも、充分に旨味と甘味を感じる。
身体に染みる感じが心地よい。
 
他にも、豚しゃぶの自家製タレも、ブロッコリーとズッキーニの胡麻和え、お野菜の酢味噌和え、自家製の漬物、どれも素材のもつ味を損なわない、邪魔しない味付けなのです。う~ん、すごい。
 
いかに、普段強い味に慣れているのかがわかります。
 
土鍋で炊いたご飯はつやつやピカピカ。
至福~♪
 
そして、丁寧に作られてるお料理ってやっぱり素敵だなぁ。
と日々雑になっている自分の料理を反省しました。(^_^;)
 
細やかな心遣いは、はじめに、
「お水は常温がいいですか?氷を入れますか?」と聴いてくれることから始まり、コースターの色を3色から選ばせてくれます。
これは、選ぶ色で、体調や気分もわかるのかしら?なんて思いながら選びました。
 
お料理に使われる器は波佐見焼だそうです。
ご夫婦とも長崎出身だそうで、お付き合いのある窯元で
このお店のお料理に合うものをと、お願いして作られたそうです。波佐見焼には珍しく、温かみのある素材の器を、お料理に合わせて使っているそうです。
 
「器も味のうち。」
そのような言葉をよく思い出す私ですが、それを実感するひととき。
盛り付けや器が美しいと、そこに物語が産まれると思います。
「この器はどこで、どんな風に、どんな方がどんな想いで、作ったのだろう?」
「盛り付けはどんなイメージでしたのだろう?」
ひとつのお皿の中に、幾つもの物語がある。
もちろん、食べる野菜やお肉もそうであると思います。
 
 
デザートに頂いた「桃のムース」もなんともやさしいお味。
「一日三食の邪魔をしない」重すぎないスイーツ。
 

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お店のコンセプトは、
『「おがわのじかん」のミッションは、
「人の心と体が軽くなる場を提供すること」。』
 
これを体感したひととき。
自分の身体が「おいしい」と感じるものを知ることで、
自分の状態がわかる。
 
おわがのじかんで過ごしたわたしのじかん。
贅沢な時間。
 
きっと夫も子どもたちも一緒にきたら、喜ぶ顔が目に浮かびます。今度は一緒に来たいな♪
 
おがわさんご夫婦の作り出す素敵な空間と時間。
細やかな心遣いが本当に素敵だと思います。
 
是非、足を運んでみてください!
私も、出産前に家族で訪れたいと思います♪
 
「おがわのじかん」