けいこさんのブログ

ときどき、料理教室。ときどき、お菓子屋さん。ときどき、ハンドケアと食養指導士。まいにち、わたし。

1月20日・今日もまとめない。

《娘のこと》

15日で娘が4ヶ月を迎えました。ほぼ首も据わり、寝返りは全くしないのに、手をにぎると、起き上がり小法師の様に起き上がりそのままスクッと立ち上がります・・・。もっとごろごろ寝返りとかしてください・・・。キョロキョロと周りの様子を観察するのに忙しいようです。基本的に機嫌がよく、夜中も早朝もニコニコしています。授乳時に寒さと寝不足で疲弊していても、救われる笑顔です。よく出来ているなぁ、と感心します。どんなに疲弊していようと、お世話せずにいられないように母と子は遺伝子でプログラミングされているんだな、と思います。それはしあわせなことだと思います。お互いに。しかし、娘の「お母さんセンサー」が日に日に感度を増し、お母さんが良い!お母さんじゃないとダメなんだよ!と言う時の泣き方は物凄いです。騒音レベルです・・・そのタイミングで抱っこしている父さん、お疲れ様です。しかし、ハッキリしていて素晴らしい・・・(笑)

 

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《りららのこと》

先日、久々にりららと二人で買い物と用事を足しに出掛けました。といっても、いただた年賀状の返信を出すのに、10円切手を買い貼り付けて投函することと、本屋さんに行こうというささやかなもの。久々の二人でのお出掛けに喜んでくれていました。郵便局で10円切手を10枚買い、私が水を付けて貼っていると、「やってみたい」といいます。ゆっくり、丁寧に水をつけ、切手を貼っていきます。切手はちょっと斜めになったり、曲がったりしていますが、それもご愛嬌、届いた皆様、多目にみてください。(笑)そのあと、外のポストに投函。まだ背が届かないので、私が抱っこして投函しました。切手を貼って、ポストにはがきを入れる。たったそれだけのことなのですが、私は切手を貼る仕草を見つめながら、静かに待つ。抱っこして一枚一枚はがきを投函する。その行為はなんともいえない幸福感に包まれている。ひとつ、ひとつ、ゆっくり、ゆっくり・・・この時間がずっと続いたらいいのにと思いました。

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《きりんのこと》

只今、8歳。まだまだ思春期。先日、私と喧嘩をして、「ハイハイ(-_-)」と、大変感じの悪い返事をしたため、「その返事はないんじゃない?!」と母が沸騰した所、「え?返事したのに気に入らないの?じゃ、次から返事しない。」母がその後、噴火したのは言うまでもありません・・・。母の忍耐は、まだまだ修行不足。とほほ。(^_^;)そんな彼ですが、近頃、幼稚園で小さい友達から、「きりん、あそぼ~!」と声を掛けられております。ありがたいことです。幼稚園では、小学生も受け入れてくれていますが、時と場合によっては、小学生本人が、なんとなく、所在なげになることもあると思います。やりたい遊びがうまく展開できない時、遊びたい友達が居ない時・・・他にも色々あると思います。きりんは基本的には、一人でも常に、やりたいことがあったり、楽しめるようですが、「自分は卒園しているから」と遠慮したり、幼稚園児の中での自分の行動を考えているところもあるようです。そんな中、4歳と1歳9ヶ月になる女の子が、「あそぼう!」と言ってくれて、一緒に遊んでいます。1歳9ヶ月の子は、お父さんを「パパ」というより早く「きりん!きりん!」と言ってくれたそうで。(笑)お父さん、なんだかスミマセン・・・(^_^;)。「遊んでくれてありがとう」とその子どもたちのお母さんが言ってくれたりしますが、こちらこそ、「遊んでくれてありがとう。居場所を作ってくれてありがとう。」という気持ちになります。そして、小さな子と触れ合うことで、癒されたり、加減を体感したりしているのだと思います。自分の存在を家族以外の誰かも喜んでくれているということを感じているのだと思います。ありがたいです。

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あぁ・・・娘が起床し、爆音で叫んで呼んでおります。(笑)
三人三様。十人十色。うん、十人十色っていい言葉だなぁ。

今日もまとめない一日を。

久々のきりん語録。

 

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きりん語録。久々です。

日々、炸裂はしてるんですけど(笑)ありすぎて・・・(-_-;)

 

子どもたちの部屋はいつでも散らかっています。

できるかぎり見ないようにしています。

でも・・・疲れていると急に気になるのです。散らかってることが!

 

工作やりっぱなし、切り屑散乱。

玩具であしの踏み場もなし。

 

ぐお~!耐えるのじゃ~(T_T)

と思っていても、時々スイッチ入ってしまい。

「片付けないなら捨てます。」

「大事にしているとは思えない扱いですので、捨てます。」

とか言ってしまうわけです。

 

お正月。

お節を食べながら、きりんがぽつりと言いました。

 

「ずっと不思議だったんだけどさ、お母さんは、玩具や家にあるものは大事なものしかないから大事にして欲しい、っていうけど、散らかってると『捨てるよ!』っていうのは何で?大事なのに捨てちゃっていいの?ってずっと不思議だったんだよねぇ。」

 

ちーん・・・矛盾を突かれております。

 

「・・・大事にしているものを、大事に使ったり片付けられないくらいなら、ない方がマシかと思っちゃうくらい、お母さんは散らかってるのが苦手なんだよぅぅぅ・・・(-_-;)」

 

・・・苦しい言い訳でございます。(^_^;)

出来る限り、矛盾なく生きたいと思います・・・m(_ _)m

 

 

1月9日・今日もまとめない。

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娘、もうすぐ4ヶ月です。
早いぃぃ~!と毎日思います。
 
首もほぼ据わり、「自分は立てる」と思っているようです(^_^;)
まだ、急いで立たなくてもいいんだよ。
腹這いになったり、這い這いしたり、もぞもぞしている時を過ごしたらいいのに。
偶然転がって腹ばいになるも、もがもがともがいて苦しくなったようです。
イモムシ、青虫を連想させます。(笑)
 
あまりにも凄いスピードで大きくなっていくので、
もっとゆっくりでいいよ~と言いたくなります。(笑)
上の二人の子どもたちが赤ちゃんの時は、
もっと一生懸命で、(あ、今が一生懸命でないってことではないんですけど(^_^;))というか、もっと緊張感や必死さもあったのかもしれません。
大きくなることが、嬉しくて、ぐんぐん伸びていく木の芽を見ているような喜びを感じていました。
 
それとはまた違う現在の感覚。
 
「もっとゆっくり大きくなっていいんだよ~。」
と思うのは、私がこの時期を味わいたいという物凄く個人的で、ある意味利己的でさえある感覚なのかもしれません。
 
というか、私が歳を重ねたってことなのかもしれませんねぇ。(笑)
言い換えれば、単に年取った!ってことで。(^_^;)
 
そんな私の心境に、娘は我関せず。
娘は自分の世界をどんどん構築し、広げるべく、日々を紡ぎ出すのです。
目の前にはどんな世界が広がっていくのだろう。
ワクワクします。

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2018年は「まとめない」。

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謹賀新年。本年も宜しくお願い致します♪

2018年、始まりました。今年もぼちぼちとブログを書いて行こうと思います。

読んでくださっている方、いつもありがとうございます(^^)

 

去年、2017年のテーマは、「出来る限り何もしない」でした。

1月に妊娠がわかり、悪阻で寝込み、その後も妊娠生活をゆるゆる送らせてもらい、

9月に出産、産後を過ごし、産後は子ども3人の生活で、笑っちゃうくらい何もできない!という経験もしました。(笑)

文字通り?「出来る限り何もしない」というか、何もできない!という一年でした。

でも、それが私にとって心地よく、無理なく穏やかな毎日の時間をもたらしてくれたと思います。

 

何もしていないつもりでも、日々は積み重なり、何かが静かに変わっていくのだと思います。特に、妊娠中は、何もしていない毎日でも、自分の胎内では、日々もの凄い勢いで変化が起きている・・・何億年分もの生命の歴史がそこで紡がれている。

だから、敢えて「◯◯をしなくては!」と思わなくてもいいのだな~と思いました。することは、日々あって、最低限の事柄をして暮らして行き、それで自分も家族も機嫌よく元気であれば、佳い!ということを感じた2017年でした。

 

さて、2018年。

今年のテーマはなんだろう?とふと思ったときに浮かんできたのが、

「まとめない」。

 

自分の考えをまとめない。

人の考えや話をまとめない。

こどもたちのことをまとめようとしない。っていうか、まとまるはずもない!(笑)

 

人は、自分の考えや人の話をまとめることで整理したり、納得したり、結論づけたりする傾向があるのだと思います。

でも、それは、自分を納得させよう、と思う気持ちが先立つからかな、と。

まぁ、まとまるとスッキリしますよね。(笑)

しかし、自分の事も、人の事も、そんなに簡単にまとめるのは無理だよな~。そんなに単純に答えなんて出ないよな~と。

 

だったら、敢えて無理にまとめる必要なんてないのでは?

そのまんま、受け止めたり、受け流したり、みつめたりしていこう。

 

パンなどを作る時に粉を捏ねてまとめていきますが、職人さんや、手慣れた方が作業していくと、初めは上手くなとまらないものが、捏ねていくと、「粉が自発的にまとまろうとしているのでは?」というように、まとまっていくのを目にしたことが何度かあります。

 

敢えて「まとめよう!」と思わなくても、

散らかった考えも、心や身体を捏ねながら、好きな人達と過ごしたり、

美味しいものを作ったり食べたり、鼻歌を唄ったり、空想したりしているうちに、

粉の粒子が自然に、自発的に、ちょっとづつ、ちょっとづつ、じりじりと集まって、

「あら?・・・いつの間にか、まとまってた!」となるのかも。(笑)

 

そんなことで、2018年。

 

「まとめない。」

 

です。

 

なので、今年は、ブログもまとまらない文章になったらスミマセン。(笑)

そして、今年も決してまとまらないB型集団の我が家をどうぞあたたかく見守って頂けたら幸いです♪(笑)

 

皆様にとっても、素敵な穏やかな日々となりますように。

 

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 ↑お節をどうしても食べたいという子どもたち。年末、働いておりました。(笑)

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宗教が入り混じり、年末年始は大忙し。

『宗教入り混じり、忙しいんだよね。年末年始。』

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クリスマス・イブは幼稚園の感謝祭あり、そこに持ち寄る食事を作り、ケーキも作り、母的にはもうクリスマスが終わった感満載でした。が、子どもたちの気持ちは、「クリスマス」な為、25日もせっせと希望のケーキを焼きました。
 
今年は、「豆腐のチーズケーキ風」。
苺も高価な時期だし、ちょうど無農薬の美味しいレモンが手に入ったので、このケーキ。
タルト生地にはいつも苦戦するのですが、今回はアーモンド、オートミール、自然栽培玄米粉を使ってサクサクいい感じに仕上がりました。
夕飯は、何故か炒飯という不思議な組み合わせでしたが・・・(^_^;)
(単に冷蔵庫にあるもので作った為・・・。)
前日の感謝祭の皆さんの持ち寄りのお食事が豪華だったから、連日ハレの日の食事でなくても
よかろう!と思う母でした。
 
サンタさんへの希望は、きりんは、「トランペット」「天体望遠鏡」「顕微鏡」「カメラドローン」
のどれか、ということでした。どれも高価ですね・・・・と思う両親。(^_^;)
で、最終的に、きりんが言ったのは、
「自分では決められないけど、サンタさんがくれるものが、今きりんに一番いいものだと思うから、
サンタさんに決めてもらうよ!」とのことでした。
 
で、今年はトランペットに。
 
りららは、「シルバニアファミリーのデパート」か「子ども用のアコースティックギター
シルバニアファミリーのデパート、これがなかなか高価でビックリ。トランペットと同じ位なんですけど・・・(^_^;)どちらでもいいという雰囲気だったので、今年は兄弟楽器で、とおさまりました。
 
 
そんなこんなで、クリスマスは無事に終わり、次は新年の準備。
今年は娘も産まれたし、おせちを省略しようと思っていましたが、
「え~!!!!!!」と子どもたちからブーイングが。( ;∀;)
 「きりんもりららも手伝うよ!」と言ってくれているので、
ぼちぼち頑張ります。
 
まだまだクリスマスの飾りもそのまま、そのままで新年飾りもするのか?
なんだか宗教入り混じってるなぁ。(笑)
 
幼稚園で育てたお米の藁で締縄作りを教わったのを頂いたので、
玄関に飾りたいと思っています。
きりん&りらら&母作。
締縄作り、ずっとやってみたいと思っていたので、とても楽しかったです。
お米を育て、収穫し、その藁で感謝と新年の希望も込めてお飾りを作る。
なんとも理に適っているなぁと思います。
 
今年もまだ数日残っていますが、ゆるゆるとやれることを少しづつ進めていこうと思います。
できないことが、たくさんあっても、みんな元気で機嫌良く過ごせれば良し!です。(≧∇≦)
 
 
 

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センス、とはなにか。

 

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 このところの、私の中で繰り返し湧き上がってくる言葉。

 

センスってなんだろう?

 

 

デジタル大辞典の解説

センス(sense)

物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き。感覚。また、それが具体的に表現されたもの。「文学的なセンスがある」「センスのよくない服装」「バッティングセンス
判断力。思慮。良識。「社会人としてのセンスを問われる」

大辞林 第三版の解説

センス【sense】

物事の微妙な感じや機微を感じとる能力・判断力。感覚。 「ユーモアの-」 「 -に欠ける」

 

 など書かれていました。他にも、

 

センスとは、

物事の微妙な感じをさとるこころの動き。微妙な感覚。 

というのがあり、私は、最後の引用が一番しっくりきました。

 

センスとは、自分自身や周囲の機微を感じる感覚であり、

本来は、誰かに善し悪しをジャッジされるものではない物だと思いますが、自分に敏感であっても、周りの機微を感じ取れない場合などもありえるということだと思います。

 

ホームドクターとその話になったときに、
「センスとは自分のものであって、本来、他者に評価されるものではない。だた、幼いときから、情報や刷り込みが多いと、そのセンスを閉じてしまうことがある。」と、おっしゃっていました。
すると、自分のことを感じられないようになる、と。
でも、そうしないと辛くて居られないから、そうなるんだよね。と。
 
 
自分を知る、って大きい。
自分を知らないと、
自分が何が心地よく、何が不快なのか、わからない。
 
自分の快・不快がわからないと、
他者の快・不快を感じ取れないのではないかなと思います。
 
自分に敏感であることは、辛いこともあるのかもしれませんが、
私にとっては、とても大事なのだと思います。
そして、感じることこそ、私にとって全てなのかもと思います。
 
自分を理解することが、他者の理解の道にも繋がる。
自分以外の人のことを完全に理解することは、
殆ど出来ないこと、と私は思っています。
自分のことでさえ、理解するのは難しいです。
相手は、自分ではない。
その人が感じていることを全く同じように感じることは不可能。
 簡単に、「わかるよ」と言えない。
 だからこそ、自分の感覚を以って、想像してみることしかできない。
 自分の感覚と経験を以って、どこまで寄り添えるのだろう。
 
まずは、自分に対して、機微な心の動きや、
身体の変化を感じることを大切にしていきたい。
 
私とは、何なのか。
 
敏感であることは、時として疲れることもありますが、
私は、鈍感であるより、敏感であることを選択したい、
と思うこともあります。
 
ある種の鈍感さも必要な時もありますが、
敏感であることは、自分や、他の人を守ることもできる気がします。
 
「寄り添う」ということも、自分にとても気になるテーマです。
それはまた追って書いて行こうと思います。
 
 
 

「三兄妹、何処へ行く。」

今年、めでたく?3兄妹になった我が家。

3人兄弟、3兄妹、性別のパターンは色々あれど、

第一子、第二子、第三子で、産まれ持った性質が様々だと思います。

最近の我が家のテーマは「真ん中っ子の憂鬱、への対応」です。

 

「わりと心配性の第一子。しかし、プライドの高さは計り知れない。」

第一子のきりんに対して、「長男だから」「お兄ちゃんだから」と言ったことも思った事もないのですが、第一子の産まれ持った性質として、そのような要素があるのだと思います。初めての出産・子育てによる母の緊張感や不安感も少なからずあり、

意外と?心配性だったり、怖がりだったりします。

でもプライドは半端なく高く、チョモランマ並みです。(^_^;)

負けず嫌いも半端ない。最近まで負けるのが嫌で、ゲーム性の在るものは参加しない、

ジャンケンもしないという徹底っぷりでした・・・。

 

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「実は一番の実力派?でも真ん中っ子の憂鬱・第二子。」

第三子が産まれ、今まで末っ子で我が道を行っていた次男も、真ん中っ子に。

上の兄からのプレッシャーをかけられ、下の妹には気を遣う。

俺、大変。(^_^;)(^_^;)

でも、感じるのは、実は最もエネルギーを秘めているのは、真ん中っ子でなないだろうか、ということです。

芯の強さがあるから、やさしく、聴いたり譲ったりできる。

気持ちの切り替えも早い。

そこだけ見ていると、心配する必要はないのでは?と一瞬思うのですが、

だからこそ、ケアの必要を感じるのです。

 

普段穏やかで明るい次男は、一度爆発すると、物凄いものがあるのです。

そうやって、ガス抜きすることが大切だなと思って、時々爆発する次男・りららの

様子を受け入れるようにしています。

それでも、気を遣う真ん中っ子。

兄・きりんが出掛けると、笑顔で送り出したあと、ポソッと、

「あ~やっと行った!」といい、帰ってくると、

「・・・もう帰ってきちゃったのか(-_-;)」と言ったりしています。(笑)

それが本音だと思いますが、それでいいと思います。

そうやってバランスを取っているのだと思うのです。

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長男は、次男に何かとプレッシャーをかけます。

如何に自分の方が凄いのか、ということを誇示したいようです。

それを、つい親として不快に思ったりすることもあるのですが、

見方を変えると、

次男が凄い力を秘めているのを感じていて、ちょっとプレッシャーかけておかないと、自分が越されてしまう心配がある」と無意識に感じ取っているのかも・・・・

と最近考察しています。(笑)

認めているからこそ、時々長男も

「りららは、自慢の弟」「妹もりららみたいに大きくならないとね!」

と言ったりもするのです。

 どうしても、同性でライバル的になるのか、追う立場、追われる立場の兄弟。

追われる方のプレッシャーもあるのかもしれないな、と思います。

年齢が大きくなればなるほど、追いつかれる感は高まるでしょう。

 

それぞれの立場を理解しつつ、親もどちらが善いとか悪いとかジャッジすることなく、

受け入れ、それぞれとの時間を作ったりと、工夫していかなくてはなと思います。

なかなかその時間を作るのも難しいのですが、長い時間でなくても良いので、

意識して行こうと夫と話しています。

 

「何処までも我が道を行く末っ子・第三子。」

 

さて、第三子。ほっといても強く逞しく育つ気配。(笑)

兄たちからも異性であることもあり、ライバル視もされず、今のとこと溺愛されています。我が道を遮るもの無し!なんていいポジション!(笑)

しかし、本当に声も大きく、主張もハッキリしております。(^_^;)

先日も、幼稚園の園長に、

「上の二人と泣き方からして違う。逞しく、強くなるよ!」とお墨付き頂きました。(笑)

まぁ、どんどん我が道をいくであろう末娘。ついていきます。(^_^;)

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何にしても、それぞれの個性・特性に合わせ、成長合わせ、寄り添っていくしかないのだろうと思います。

私も夫も二人兄弟・二人姉妹なので、真ん中っ子の憂鬱の対応を色々試行錯誤しています。正解はないと思いますが、その時出来ることを、精一杯やりたいと思います。

 

真ん中っ子で育った方、アドバイスお願いします(^^)