親がこどもにできること。
親がこどもにできること。
親がこどもにできること、と聴いて何を思い浮かべますか?
私は、
「ハッキリ言って、皆無に近いでしょ。」
と思っているのですが、(笑)
「できることがあるとしたら、彼らの生きる邪魔をしないこと。」
と思っています。
「あ~でもない、こ~でもない、」
「あれはダメ、これはダメ、」
「こうしたら失敗しないのに、」
「だからいったのに!」
とか言わないことです。
こどもたちにとってかなり、邪魔です。(笑)
何でも先回りして、予測して、やらないことです。
こどもたちは、自分で経験して学びます。
自分に合ったやりかたを習得します。
失敗したら、自分で工夫します。
もっと面白いやり方をみつけるかもしれません。
やってみなくちゃわからないのです。
大人は自分の経験を元に、失敗させないように、
させないように、したがります。
余計なお世話です。
大人は、失敗は悪いことだと思っています。
本当にそうでしょうか?
失敗は単なる学びの機会に過ぎないと思います。
ただ、私たち大人は、
【失敗しないことが良い、という教育】を受けて育ってきている、
という事実があることも、認識しておく必要があります。
こどもに必要だとしたら、
失敗したときにいかにフォローできるか、かもしれません。
もしかしたら、
フォローが必要ないケースもあるかもしれません。
大人が見ると「失敗」と思うことを、
子どもは、そう捉えていないかもしれません。
こどもの感覚は、大人と違うものであることが、
多々あると思います。
子どもは、私ではない。全く別のひとりのひと。
息子きりんが産まれる前は、
人並みに?
「子どもが産まれたら、こんな習い事をさせたいなぁ・・・」
などど、勝手に妄想していたりもしたものでした。
しかし、きりんが産まれて、その顔を初めて見た時、
その妄想は一気に吹っ飛びました。
そして思ったことは、
「この子の邪魔をするのだけは、止めよう。」
ということだけでした。
この子は、たまたまご縁あって、私と夫の元に産まれてきた。
でも、この子は、私ではない。
だから、私が何事も勝手に決めることはできない、と思ったのです。
きりんは、きりん。
私は、わたし。
全く別の、ひとりのひとであるのだ!
どうしてそう思ったのかは今でもわかりません。
でも、そう感じそれが私と夫にとって、
子どもが育つ中で大切にしていることのひとつとなっています。
「子どもの邪魔をしないということ。」
子どもの生きる邪魔をしない、ということは、
「親は自分の人生を生き、楽しむ。」
ことだと思っています。
子どもの人生は、子ども自身のものなのです。
余計な心配は、不安を産みだしてしまい、
不安を現実にしてしまいます。
それでも、「親は、心配する生き物なのよ」
なんて声も聞こえそうですが、
心配ではなく、心を配り、
あるがままのこどもの姿を受け入れ、
サポートしていくことが、大人の役割かなと思います。
親が楽しく生きてる姿を見せ、
こどものやりたいこと、考えを邪魔しないことが、
こどもが羽ばたく足枷とならない唯一の術かもしれません。
こどもたちは、こどもたちの足で、
自ら選び、歩んでいくのだと思います。
どこまでも、自分の足で。